「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その2 御霊神社に参拝
コミック「鎌倉ものがたり」は1980年代の鎌倉が舞台で、江ノ電やJR横須賀線はもちろん、「鳩サブレー」の豊後屋や、「梅花はんぺん」の井上蒲鉾店、「あがり羊羹」の北鎌倉・松花堂、小町通の喫茶店「門」など鎌倉でおなじみの店名が多数登場している。
一色正和の住まいは長谷1丁目となっているので、そこがどんな場所であるか気になったのでヤフーで検索してみた。
一色正和の住んでいる地域には鎌倉文学館、吉屋信子記念館などの建物が建っているようであるが、そこがどんなところなのかはこれだけではわからない。
鎌倉文学館には今日立ち寄ることにしているので、その時に一色正和の住んでいる地域の雰囲気を味わってみることにした。
まず、上図の黄線に沿って長谷駅から赤字い;御霊神社に向かい、次に赤字ろ;力餅屋の角を回り、赤字は;極楽寺坂切通を登って江ノ電極楽寺まで歩く。
長谷通りを左手方向に曲がって、御霊神社に向かう道を歩いて行く。
5分程歩いて御霊神社に到着し、儀礼どおり参拝し、旅の無事を願った。
御霊神社であるが、この名前の神社は日本各地に存在し、祭神・性格は様々で、御霊信仰に基づきある人物の御霊・怨霊を鎮めるために創建されたもので、ここの御霊神社は鎌倉権五郎神社と呼ばれている。
この神社に祀られている鎌倉権五郎景政は平安時代後期の武将で、父は桓武平氏の流れをくむ平景成とするが、平景通の子とする説もある。
父の代から相模国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市周辺)を領して鎌倉氏を称し、居館を藤沢市村岡東か鎌倉市由比ガ浜に置いていた。
神社の境内には、かながわ名木100選にも選ばれているこの樹齢350年のタブの木の大木が悠然とそびえている。
鎌倉権五郎景政を有名にしたのが、後三年の役のあのエピソード。
16歳の若武者の身で源義家方の先鋒軍として戦い、清原軍の放った矢が右目に刺さるもその敵を逆に射殺し、自陣に帰った。
苦しむ景政に対し仲間の三浦平太郎為次が駈け寄り、矢を抜こうと景政の顔に足をかけたが、景政は怒り為次に斬りかかった。
驚いた為次に対し、景政は「武士であれば矢が刺さり死ぬのは本望だが、土足で顔を踏まれるのは恥辱だ」と言ったという。
為次は謝り丁重に矢を抜いたと伝えられている。景政の子孫には鎌倉幕府創建の功臣梶原景時がいる。
神社の見物を終えて大鳥居の前まで来たとき、目の前を江ノ電が爽快な音を立てて通り過ぎていった。
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