近江街道をゆく その9 石積みの門前町「坂本」を散策 その1

叡山を降り、湖西線に乗って大津京のビジネスホテル西大津に戻った。

この日の夜はとても冷えそうで外食を食べる元気がまったくなかったので、あらかじめ駅前のコンビニで麻婆飯、サラダ、ビールなど(905円の出費)を買って、自室で夕食とした。

朝食は前日と同じくホテルの食堂で食べ、午前8時半頃にホテルを出た。

今日は一日、石積みの門前町「坂本」を散策する。

JR坂本駅を出て、駅前の坂本観光協会が作成した街の地図をじっくり眺めた。
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坂本は街の真ん中を日吉参道という大通りが通っていて、叡山に向かって右手の街を大宮川が流れ、左手の街を藤ノ木川が流れている。

街は右手も左手も、穴太衆積みと呼ばれる特異な石積みで造られた石積みの街である。

午前中は右手の街を歩き、午後から左手の街を歩くことにした。
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まず、公人屋敷の旧岡本邸である。

江戸時代、延暦寺の僧侶でありながら妻帯と名字帯刀を認められた「公人(くにん)」と呼ばれる人たちが、このような公人屋敷に住んでいた。

さっそく中に入ってみる。
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近年の生活様式の変化により、内部が原型をとどめないほど改装されている住居が多い中、岡本家の家屋は全体に公人屋敷としての旧状をよくとどめた社寺関係大型民家の特徴を示す住居として残されている。
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公人は三塔十六谷からなる延暦寺の堂舎・僧坊に所属し、治安維持や年貢・諸役を収納する寺務を務めていたという。
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次に、穴太衆積みのりっぱな石垣と大銀杏を眺めながら、最澄の生誕地とされているこの生源寺に向かって歩いていく。

大銀杏の下には、最澄の産湯に使われたと伝えられる古井戸があるという。
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生源寺の前に到着すると、寺の入り口の門の前にしっかり「伝教大師誕生の寺」と書かれていて、産湯の井戸など拝観出来るとあった。

門を入ると、最初に産湯の井戸を見た。
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伝教大師程の大きな存在の坊さんになると、真偽をそんなに問わずに、その生涯の一挙手一投足が、弟子や信者にとっては宝物であり信仰の対象となる。
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こちらは本堂で、ここには弟子の慈覚大師円仁が造ったとされる十一面観音像が本尊として置かれているが、それは見ないで生源寺を出た。

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