最上川と「おくのほそ道」の旅 その18 直江兼継生誕地への旅
松岬神社の次に上杉博物館に行った。
ここでは2009年放映のNHK大河ドラマ「天地人博」が開催されていた。
キャラクター人形のかねたんと主役の直江兼続のパネル写真が出迎えてくれた。
しかし、残念なことにここでの展示内容は一切残っていないが、ここで二冊の、直江兼続に関する資料本を購入した。
一冊は「直江兼続がつくったまち米沢を歩く」で、もう一冊が「直江兼続公講座兼続公さ愛さ愛べ!」(直江兼続の米沢を写真とイラストでわかりやすく紹介している。)である。
この二冊の資料本を参考にして米沢の街を歩いているが、「直江兼継生誕地への旅」をこの一月あとの2009年8月22日に挙行したので、これからしばらくの間、直江兼継生誕地へ時空を超えてタイムスリップする。
まずは、生誕地の新潟県南魚沼市の坂戸城跡へ直行した。
この辺は当時上田庄と呼ばれていて、ここで生まれ育った武士たちは直江兼継の最側近の上田衆として、彼を一番近くで最後まで支えていた。
新潟県南魚沼市六日町、直江兼継生誕の地である坂戸城はこの通りの向こうに見える坂戸山の麓にあった。
まず、赤字アのエリアまで車を進めた。
車を停めて山道を上って行き、家臣屋敷跡と記された場所まで歩いた。
屋敷跡とあるが、短い草が生えている他には何もなく、地面の高低差によって、ここに何かの建物があったとかろうじて判断できる程度である。
まさに、つわものどもの夢の跡である。
この辺りが坂戸城跡である。
城跡は南北120m東西80mの長方形で、土塁や石垣をめぐらせ、城郭の形跡がしっかり残っている。
坂戸城跡を歩くと、こんな石碑が建っていた。
ここの城下で1560年に、樋口惣右衛門兼豊の長男として直江兼継は生まれた。
彼の主君である上杉景勝もここで、上田長尾家当主長尾政景の次男として生まれた。
生母は上杉謙信の実姉である仙桃院である。
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