甲州街道と佐久平みち その27 塩名田宿

八幡宿の次にその隣の塩名田宿を見た。


塩名田宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場で、現在は長野県佐久市塩名田となっている。


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 この下の道が旧中山道で、千曲川の旧渡し場まで続いている。

橋が掛けられたこともあったが、洪水の度に流失して、船や徒歩で渡るのが専らであった。


塩名田宿は暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒あった。



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 これは現在の塩名田宿風景であるが、1843年の「中山道宿村大概帳」によれば、塩名田宿の宿内家数は116軒、うち本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠7軒で宿内人口は574人であった。

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 塩名田という名のバス停を見かけて、近づいたらこのバス停の後ろの家が、この塩名田に2軒あった本陣の一つである問屋本陣跡である。

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 こちらの問屋本陣は丸山新左衛門家本陣で、塩名田の本陣・脇本陣は丸山一族が務めていた。

 この建物は1756年に再建されたもので、改装されながら現在も住居として使われている。



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 通りをはさんで斜め先の大井屋という食料品店のある場所が、もう1軒の本陣である丸山善兵衛本陣跡である。

 塩名田宿は小さい宿ながらも本陣など江戸時代の建物がしっかり残っているノスタルジックな宿だった。



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 少し歩くと塩名田宿の現存している旧跡などを描いた案内図があった。

案内図に従ってゆっくりと見たかったが、10分も歩くと汗が噴き出てきたので、このくらいで塩名田宿をあとにした。


そろそろ昼食時間なので適当にあたりを探し回ったが、このあたりには食堂らしきものは見当たらなかったので、佐久平方面へ向かった。



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 佐久平駅までは5km程くらいの距離なのだが、食堂を探し回りながら走ったので30分程かかってしまった。

 ようやく、佐久平駅周辺で1軒の食堂を見つけた。



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 この食堂で頼んだのは1000円のチラシセットで、なかなか豪華に盛り合わせてあって、特にサラダが美味しく、とても満足のいく昼食となった。


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