最上川と「おくのほそ道」の旅 その24 再び「うこぎ垣の米沢の町」を散策

それでは再び、2009916()の米沢に時を戻す。
旅は『最上川と「おくのほそ道」の旅』、時間は午前9時41分である。

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上杉博物館を出て、うこぎの垣根のある通りを歩いている。
黄星印の場所を、これから順番に見学していく。

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米沢市にある私立高等学校、九里学園高等学校(1901年に九里裁縫女学校が『九里とみ』によって、女性としての徳と社会で役に立つ技能を身につけさせる教育を建学の精神として創設された。後に九里女学校、米沢女子高等学校と名前を変えている。現在は男女共学となっている。)前の道路沿いに並んでいるのが、うこぎの垣根である。
米沢市内に残っている侍屋敷の垣根は全てこのうこぎ垣で、改築されたり新築されたりしても、うこぎ垣だけは士族であったしるしとして大切に残されている。

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うこぎ垣根にぐっと接近して、鮮やかな緑色のうこぎの葉をじっくりと眺めた。

このうこぎ垣は美観のためでなく、新芽を摘んで食用にするためのものだった。
「司馬遼太郎の羽州街道」には、木下藤吉郎の妻のねねと前田利家の妻のお松がうこぎの垣根越しに話をしていたというエピソードにふれながら、戦国期の田舎の大名の家来の家の垣根には、このうこぎ垣を使うのがごくありふれたことだったのではないかと書かれている。

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江戸期になって武家屋敷は練り塀をめぐらす程贅沢になったが、家康の関ヶ原仕置により大減封された結果極端な節約主義となり、直江兼続が指導したとも上杉鷹山が指導したとも言われる米沢のうこぎ垣は、戦国期同様に江戸期の入っても延々と続いた。

次に、米沢織物歴史資料館に入った。

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米沢織物歴史資料館は、1階がショップ「織陣(おりじん)」、2階が展示室となっている。

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2階の展示室に入った。
江戸時代の米沢では、青苧(からむし)を栽培して越後縮等の原料として他藩に販売していたが、上杉鷹山が藩主となってからは、藩内に漆・楮・桑を植えさせ、青苧から生糸への転換が図られ、現在の米沢織の基礎が築かれた。

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この展示室では、置賜紬に代表される米沢織の歴史と現在が、豊富な資料と美しいイラスト等で紹介されていた。

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