「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その27 切通し四箇所を歩き、鎌倉五山の全てを歩く

次に建長寺の鎌倉街道を挟んで向かい側に建っている円応寺を見学した。

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ここは閻魔大王を本尊としているユニークな寺である。

この寺を出て、鎌倉街道を鶴ケ丘八幡宮の方向に歩いて行く。

鎌倉には山道を行く七つの切通しが整備されていて、その中の一つが巨福呂坂切通し。

巨福呂坂切通は山ノ内(北鎌倉)方面から鶴岡八幡宮へと抜ける坂道で、朝夷奈切通しとともに1240年頃北条泰時によって開削されたという。

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現在は元の切通と考えられている旧道の峠道は通り抜け出来ないが、この落石防止の洞門を備えた新道がそれに代わって鎌倉中心部を結んでいる。

午後は鎌倉アルプス踏破の予定を中止したため、ほとんど時間つぶしとなった。

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こんな看板が立っていたので、適当に右方向に歩いて行った。

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しばらく歩くと、鏑木清方記念館があったので、そこに入った。

鏑木清方は、明治~昭和期の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられる程の高名な画家である。

第二次大戦の空襲で東京の自宅が焼け、終戦後の晩年は鎌倉雪ノ下(今は鏑木清方記念館となっている場所)に住んでいた。

彼の代表作品をここで紹介する。
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これは朝涼(第6回帝国美術院美術展覧会出品作)で清方の代表作の一つ。

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これは舞妓(聖徳太子第二回展への出品作品)。

その他印象的で美しい作品を数多く描いた清方の思いが、いまでもこの鎌倉雪ノ下の旧居からは感じられた。

昭和29年の文化勲章受章の年より昭和47年に93歳で亡くなるまで、18年間を清方は鎌倉のこの地で過ごしたのだ。

思いもかけず、久しぶりに清々しい空気にたっぷり浸れた。

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清方のあとは鎌倉五山第三位の寿福寺、ここはその総門である。

この寺は北条政子が明庵栄西を招いて開山した寺で、栄西は臨済宗の開祖である。

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寿福寺の総門から見る参道の景色は時期を問わずに素晴らしいのだが、紅葉の時期のそれは言葉では語れず、特別な必見場所となるのだという。

今日は歴史の海を泳ぐように、北鎌倉から鎌倉まで鎌倉五山を中心として鎌倉街道を歩いた。

鎌倉アルプス踏破は逃したが、その結果として七つの切通しの内の四箇所を歩け、鎌倉五山の全てを歩けたことで、充実した一日となった。

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