木曽川への旅(2008年の旅) その7 藪原宿の散策(湯川酒造店など)

 笹川から宿へ戻ると午後4時に近かった。

 これから藪原宿の散策ということになる。


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 井筒屋旅館は藪原の街並みの中にはなく、藪原駅の前で営業している、いわば本当の駅前旅館である。

 藪原宿の街並みは、中央本線と木曽川に挟まれ、駅前から鳥居峠の方向へ向かって続いている。

 鳥居峠を控えた藪原宿は中山道の中間地点であり、文字通りの「どまんなか」として江戸と京都・大阪の文化を繋いでおり、そういう意味では、東西文化の接点であった。

 柳田國男は「木曽は天然の渡り廊下であった。風・渡り鳥・水の流れ以上に、はるかに雄大な文化というものが、この一筋を貫いて、南しまた北していたのである。」と述べている。

 江戸時代から、鳥居峠は一般の庶民はもとより、松尾芭蕉や貝原益軒など多くの文人墨客が通行し、幕末の文久元年(1861)には皇女和宮が藪原に泊まり、明治13年(1880)には明治天皇も巡行している。

 こうしたことは、宿場の人々にとって物心両面に渡って少なからず影響を与えたと思われる。

 その一つに短歌のアララギ派の拠点となった造り酒屋がある。

 藪原宿をのんびり歩いていくと、その湯川酒造店がすぐ目に留まった。


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 この湯川酒造店は藪原宿で江戸時代前期(1650年)より続いている酒造で、現在15代目となっており、酒造店前には慶長13年より営業している米屋という宿屋(この時は修繕中で、隣家で営業。)が営業している。


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 湯川酒造店の酒は木曽路といい、宿屋に泊まった旅人たちが愛飲したことから名前を「木曽路」としたという。

 伊藤左千夫や島木赤彦らアララギ派を代表する歌人が蔵元の敷地内にある枕流館に集まり、「木曽路」を飲みながら歌を詠んだと聞いている。

アララギ派とは正岡子規の「根岸短歌会」をその発祥とし、以来長塚節(小説「土」の作者)、伊藤左千夫(小説「野菊の墓」の著者)、島木赤彦、斎藤茂吉、土屋文明などの、常にその時代の歌壇の最高峰であった歌人たちを擁してきた近代歌壇最大の集まりで、一貫して「写生」「写実」「リアリズム」の手法を根本としているグループ。

 正岡子規の流れを汲むとなると、そうとう凄まじい生き方のグループということになる。

 子規とはホトトギスの異称で、結核を病み喀血した自分自身を、血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩え名乗った名である。

 この子規の気概を受け継いでいくグループがアララギ派で、アララギ派は藪原宿の極楽寺という禅寺で修行を敢行し、心ゆくまで短歌道に励んだのだろう。


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 満足できる結果となれば、枕流館に集まり「木曽路」を愛飲しながらお互いの労作を披露し合った情景が思い浮かぶ。

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