恋を恋する人 蝶を夢む いかにも萩原朔太郎っぽい詩
恋を恋する人 わたしはくちびるにべにをぬつて あたらしい白樺の幹に接吻した。 よしんば私が美男であらうとも わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいの匂ひがしない わたしはしなびきつた薄命男だ ああなんといふいぢらしい男だ けふのかぐはしい初夏の野原で きらきらする木立の中で 手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた 腰には こるせつと ( 、、、、、 ) のやうなものをはめてみた 襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた かうしてひつそりと しな ( 、、 ) をつくりながら わたしは娘たちのするやうに こころもちくびをかしげて あたらしい白樺の幹に接吻した。 くちびるにばらいろのべにをぬつて まつしろの高い樹木にすがりついた。 蝶を夢む 座敷のなかで 大きなあつぼつたい 翼 ( はね ) をひろげる 蝶のちひさな 醜い顔とその長い触手と 紙のやうにひろがる あつぼつたいつばさの重みと。 わたしは白い寝床のなかで眼をさましてゐる。 しづかにわたしは夢の記憶をたどらうとする 夢はあはれにさびしい秋の夕べの物語 水のほとりにしづみゆく落日と しぜんに腐りゆく古き空家にかんするかなしい物語。 夢をみながら わたしは幼な児のやうに泣いてゐた たよりのない幼な児の魂が 空家の庭に生える草むらの中で しめつぽいひきがへるのやうに泣いてゐた。 もつともせつない幼な児の感情が とほい水辺のうすらあかりを恋するやうに思はれた ながいながい時間のあひだ わたしは夢をみて泣いてゐたやうだ。 あたらしい座敷のなかで 蝶が 翼 ( はね ) をひろげてゐる 白い あつぼつたい 紙のやうな 翼 ( はね ) をふるはしてゐる。 |
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