「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その3 青春の旅のスタートは、こだわりの「オムライス」と「別れの曲」で

恒例の夏季行事である源流釣行の旅は始まり,僕は,旧北上川の河口の街である石巻を目指し,自宅を出発した。
 一日目の日程である。

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 愛車の「スバルレガシーツーリングワゴン2000TX」には今年の5月27日にカーナビシステムを取り付けたので,今までの旅とどう違った旅になるかも楽しみの一つとなった。
 既にカーナビシステムを使用しており,目的地までの案内は誤差5mから10mくらいでやってくれるので,知らない街までの案内人と知らない街での案内人を雇ったようなもので,それも人間と違っていろんな口出しもせず,間違った操作をしなければ指示どおりに案内してくれるので,心強い友人と一緒にいるような旅になるのではという予感が最初からあった。

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山形県に入ってすぐの町の道の駅,「白い森おぐに」

早朝の朝もやの中,国道113号線を快調にレガシーはひた走り,7時過ぎに道の駅「いいで」で朝食を食べた。
朝食はオムカレーという,この年になって初めて食べた食べ物で,簡単に言えばカレーとオムライスをミックスしたもので,カレーの中にオムライスも入った豪華版カレーである。

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カツカレーのカツの代わりにオムライスが入ったものと考えていただくと,どのようなものであるかすぐに理解できる。
朝食のメニューを選んだ時に何故か,浅倉卓弥のベストセラー小説でその後映画化もされ大ヒットした「四日間の奇跡」を思い出し,オムライスカレーということになった。

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この小説の話をすると長くなるが,脳に生涯を持った少女とその少女を助けたためにピアニストへの道を絶たれた青年が,山奥にある身体や脳に障害を持つ人々を収容する施設の中で起きた不思議な出来事を描いて「このミス大賞」を受賞した非常に感動的な作品でその障害を持った少女「千織」の大好物の食べ物が,オムライスだった。
彼女はオムライスを何日食べても飽きることはなく,ケチャップを飛ばし服を汚しながら,おいしそうに食べる場面が小説や映画の中で印象的だった。
僕は別に脳に障害のある少女でも何でもないのだが,浅倉卓弥の「四日間の奇跡」を読んで以来,オムライスという食べ物が気にかかり始めた。
同様に音楽では,この「四日間の奇跡」の少女「千織」が施設などに招待されて最後に弾く曲であるショパンの名曲「別れの曲」が気にかかり始めた。
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「別れの曲」というのは実は日本人がショパンの伝記映画のタイトルに使った邦訳で,そのフランス映画の中でBGMとして使われていた曲(正式名は練習曲 作品10-3 ホ長調)が「別れの曲」という名称を付けられ,世界一有名なピアノ曲の一つとなったという。
この日本でしか通用しない呼び名である「別れの曲」は,ショパン自身が「かつてこれ以上きれいな旋律を作ったことはない」と言った程の出来栄えで,作曲されたのは1832年とされている。
その時のショパンの年は22歳というから,日本語訳でイメージされるような恋人との甘美な別れという設定ではなく,むしろ青春真っ只中の野心に燃えたショパンが,憧れのパリの音楽界に,密やかな野心の為せるままに最も美しい挑戦状をたたきつけたというような,そんなイメージがこの曲の中からは感じられるのである。
「別れ」とはそれ自体の中に「始まり」を強く意識させる言葉である。僕はこの旅のスタートにあたり,自分の今回の旅のBGMとしてショパンの「別れの曲」を選びたいと考えた。

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それは,この旅の主要な目的である北上川の河口から源流まで,鮭・鱒族の遡上のように一心不乱に上流を目指すのではなく,その川の畔で生き,その川と共にせいいっぱいに青春を生きた,宮沢賢治や石川啄木のような人物の足跡に出会いながらの旅であってみれば,青春真っ只中の野心に燃えたショパン渾身の傑作とも言える「別れの曲」を旅のBGMに選ぶのは,この旅の趣旨に最も合うのではないかと考えたからだ。

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