最上川と「おくのほそ道」の旅 その26 直江屋敷跡から春日山林泉寺へ

上杉鷹山に思いを残しながら東光の酒蔵を出た。


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それから赤矢印のように歩いて、青星印の場所にある直江屋敷跡に到着した。


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モダンな住宅の横が空き地になっているが、この一角に直江屋敷があったと伝えられている。

直江兼続は後継を残さなかったため、兼続・お船夫妻の死後直江家は断絶し屋敷も廃された。

そのため現存最古の城下絵図にも直江屋敷の記載はなく、ここに直江屋敷が在ったというのは400年間の言い伝えに過ぎない。


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上図は兼続時代の米沢城下町概念図であるが、直江屋敷(言い伝え)は赤星印で示している。

東方右手から敵が攻めてくると想定し、兼続は戦場における陣形と同様に家臣団屋敷を配置した。

本陣である本丸・二の丸の両側を戦国最強軍団の上杉謙信旗本の馬廻衆、武田信玄遺臣信州衆で固め、前面に上杉家最上級家臣団を配置し、北から御守組、直峯衆、御徒組、与板衆を配して本陣守備の要に五十騎衆を置き、鶴翼の陣(古来より会戦に用いられ、防御に非常に適した陣形)を造ったのである。

この頃の米沢は紛れも無く軍事都市である。

旧城周辺は一通り歩いたので、これから街中から少し離れた場所を見ていく。


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赤①;春日山林泉寺、赤②;上杉家廟所、赤③;法泉寺の順に見ていく。

まず、赤①;春日山林泉寺である。


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林泉寺は上杉家の菩提寺で、上杉家の移封に伴って越後から米沢に移転した。

ここは藩主の奥方や子女や重臣の墓所で、兼続夫妻や上杉謙信の姉仙洞院や景勝の正妻菊姫などの墓がある。

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