日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」その5 利根川 NO3 萩原朔太郎と西脇順三郎

 朔太郎のことを思いながら前橋に到着した僕は、最初に前橋文学館へ行きたかったが、道を聞いた70代位の女性に、随分疲れているようだからホテルに直行しなさいと言われ、そうすることにした。

 今日の宿泊先は、前橋サンホテルという名のビジネスホテルで、国道17号にも国道50号にも近い、前橋の繁華街の裏通りに合った。

 何回か手を入れてはいるがそうとう古い、あまりぱっとしないビジネスホテルだった。

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 裏小路なので、飲み屋などもあったが、新潟市よりずっとさびれているような印象を持った。

 ホテルはハリーポッターの絵を数多く展示してあり、このイメージが一つのトレードマークとなっていて、カジュアルアートホテルとしてネットでは紹介されていた。

 市役所へは車で2分、県庁までは車で5分、前橋文学館までは徒歩8分ということで、7000円のデラックスシングルルームで荷物を置き着替えると、サンダル履きで前橋文学館へ向った。

 もう、午後4時を過ぎていたので、急いで広瀬川沿いにある筈の文学館を目指した。

 広瀬川はホテルから歩いて5分程のところにあり、10m程度の川幅ながら、街中の川にしては勢い良く流れていた。

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 目的の前橋文学館は、広瀬川の右岸に建てられていた。

 ぎりぎり午後4時半の入場締め切り時間に間に合い、僕は急ぎ足で近代史の生んだ大詩人の足跡を見て回った。

 30分しか時間がなかったので、置いてあるパンフレットを後で見ようと考え、展示コーナーのパンフレットは残らず持ってきたが、やはり見学時間は最低1時間は必要だと思った。

 いろいろ親切に対応していただいた受付の女性から、新潮社から出ている新潮日本文学アルバム集として刊行されている「萩原朔太郎」というハードブックを1冊だけ購入した。

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 そして、文学館を出るとすぐ横にある朔太郎のブロンズ像の横に立ち、通りがかりの人に頼んで、朔太郎とのツーショットを撮ってもらった。

 僕の気持ちはこの時異常に高揚していて、そして何故か非常になつかしいような思いがしたのを憶えている。

 広瀬川と言えば、純情小曲集中の望郷遠望詩の作品である「廣瀬川」が浮んでくる。



 廣瀬川白く流れたり


 時さればみな幻想は消えゆかん。

 われの生涯 ( ライフ )を釣らんとして

 過去の日川邊に糸をたれしが


 ああかの幸福は遠きにすぎさり

 ちひさき魚は眼にもとまらず。




 この詩に似たような詩を何処かで読んだ記憶があり、しばらくは思い出せないでいたが、ようやくそれが西脇順三郎の「旅人かへらず」であることに気がついた。

 そして、先ほど朔太郎のブロンズ像の前で異常に気持ちが高揚した理由が、この時ようやくわかったのだ。

 僕はたぶん、新潟県の生んだ天才型詩人である西脇順三郎の魂を、信濃川の流れる新潟の地から、この利根川の流れる前橋の地へ持ってきたのだ。

 西脇順三郎は、新潟県の小千谷に故郷を持つ高名な英文学者で、朔太郎と並び賞される近代日本の最高峰クラスの詩人である。

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 順三郎は明治27年(1902年)生まれで、朔太郎より7歳年下ということになる。

 北原白秋は萩原朔太郎と室生犀星を天才として愛していたが、順三郎も同じように、萩原朔太郎と室生犀星を近代詩人の中で最高峰と見ていた。

 天才は天才を知るというが、朔太郎も順三郎を高く評価している。

 僕は直感的に、萩原朔太郎と西脇順三郎が良く似ていると感じたが、西脇の弟子の英文学者の鍵谷幸信は、二人の詩人を「意想奔逸型タイプの天才型詩人」として、同じタイプとして把握しており、このタイプの先人として哲学者でもあったニーチェを紹介している。

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 西脇順三郎の「旅人かえらず」は1回くらいではなかなか理解できない難解な詩であるが、繰り返し読んでいくうちに順三郎自身の溢れるほど豊饒な人間としての魅力が伝わってくるのである。

 人生経験の薄い若い頃は、西脇の詩は難解すぎてなかなか理解も出来ないし、退屈になるが、中年以降になって人生経験も豊富になった者には面白くなってくるようだ。

 内容も深く、何回か読んでいくうちに納得していくような感じがする。

 以下は、西脇順三郎の「旅人かえらず」の冒頭と最終章の紹介である。



 旅人は待てよ(冒頭)

 このかすかな泉に

 舌を濡らす前に


 考えよ人生の旅人

 汝もまた岩間からしみ出た

 水霊にすぎない


 この考える水も永劫には流れない

 永劫の或時にひからびる

 ああかけすが鳴いてやかましい

 時々この水の中から

 花をかざした幻影の人が出る

 永遠の命を求めるは夢


 流れ去る命のせせらぎに

 思いを捨て遂に

 永劫の断崖より落ちて

 消え失せんと望むはうつつ


    (中略)

 
 永劫の根に触れ(最終章)

 こころの鶉 ( うずら )の鳴く


 野ばらの乱れ咲く野末


 砧 ( きぬた )の音する村

 樵 ( しょう )路 ( ろ )の横切る里

 白壁のくずるる町を過ぎ


 路傍の寺に立寄り

 曼荼羅の織物を拝み

 枯れ枝の山のくずれを超え

 水茎の長く映る渡しをわたり


 草の実のさがる藪を通り


 幻影の人は去る

 永劫の旅人は帰らず



 順三郎自身が幻影の人であり、永劫の旅人であった。


 順三郎の郷里は越後の小千谷、そしてそこは、信濃川の流れる河岸段丘のまちでもある。

 彼の心の中には故郷の小千谷や日本一の大河信濃川の風景がしっかりと刻まれていて、原風景を形成していると言われているが、同様に朔太郎のこころの原風景も、前橋を流れる日本で二番目の長さを誇る利根川や市内を流れる広瀬川だったのだ。


 再度、広瀬川沿いの遊歩道をのんびり歩きながら、デジカメやバカチョンで川べりの風景を撮影し、1時間ほど広瀬川の風景を楽しんだ。

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 両岸に設置されている遊歩道沿いには、歴史を感じさせる様々なモニュメントや詩碑が設置されており、前橋のまちの詩情豊かなまちとしての雰囲気造りに一役買っていた。

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 詩碑は、毎年行なわれている萩原朔太郎賞で優勝した作品が遊歩道沿いに設置されており、内容は覚えてないが、普段着の生活を詩にしたような作品が多かったと記憶している。

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 その後、ホテルに戻り部屋に荷物を置いてから、1階のレストラン春夏秋冬で2000円ほどの夕定食を注文し、大瓶のビールを1本飲んだ。

 部屋に入って着替えると、風呂のお湯を出して置き、その間にお茶を沸かして飲んだ。

 風呂に入ると、けっこう足が張っているのがわかって、そんなに歩いたとは思っていなかったが、けっこう歩いていたのだろう。

 萩原朔太郎と西脇順三郎のことを考えながら、明日の準備をして、午後9時には寝た。

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