最上川と「おくのほそ道」の旅 その29 法泉寺(旧禅林寺)を見学

に赤③の法泉寺を見学した。


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この文殊橋を渡ると法泉寺(旧禅林寺)である。

現在法泉寺は、道路を挟んで南の寺院・墓地と北の文殊堂・庭園に分かれている。

元はこの南北を隔てる道はなく、直江兼続創建時法泉寺(旧禅林寺)は三の丸北西に位置しており、掘立川に掛けられた橋を渡るとすぐに旧禅林寺の門があったと伝えられている。


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まず北の⑤文殊堂⑧庭園などを見学する。

直江兼続は死の前年、上杉景勝を開基として禅林寺を創建した。

開山和尚の九山は、兼続が足利学校で学ばせて禅林寺に招いた。

九山は上杉家の学問指導と景勝の子定勝の学問師範を任されて、禅林寺は上杉家の文教の中心として、上杉家の家臣の師弟を教育した。


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奥のお堂は先聖殿、禅林文庫はこの場所に建てられていて、上杉鷹山の時代に藩校興譲館として受け継がれた。

手前の①石碑は禅林寺が創建された年の冬に、新築の禅林寺を訪れた兼続が詠んだ詩である。


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念願の学問所を開設した兼続の喜びようが、手に取るようにわかる。


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また兼続詩碑の参道を隔てて向かいには、開山和尚である②九山の詩碑が建っている。


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高徳の禅僧の高貴な魂が、この辺に今も漂っているようである。


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また法泉寺庭園は九山禅師が京都天竜寺の名園をまねて造ったと伝えられており、米沢三大名園のひとつになっている。


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ここは⑤文殊堂で、禅林寺二世の絶山が禅林文庫の鎮守として創設したお堂である。


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道路を挟んで南の寺院・墓地については特に見るところもなかったので、寺院入口を紹介して、法泉寺での見学を終える。

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