松前街道をゆく(2014年の旅) その12 派手な看板の土方・啄木浪漫館に入館

啄木小公園に隣接して、派手な看板に飾られて、土方・啄木浪漫館が建っている。

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 この建物は、函館にゆかりのある土方歳三と石川啄木の二人を記念して作られた記念館。

土方歳三は箱館戦争で旧幕府軍として戦い、1869年に函館・五稜郭で命を落とした。

石川啄木は函館での生活はわずか4ヶ月だったが、この地に短い生涯ではあったが生涯の友人に巡り合い、この地にたくさんの歌を残し、この地で一族とともに永遠の眠りについている。

この建物の中に入って行く。

1階部分は「土方歳三函館記念館」で土方歳三関連の各種資料を展示、2階部分は「石川啄木函館記念館」で石川啄木関連の資料を展示している。

まず1階部分の土方歳三函館記念館から見て行く。

入口でまず目に入るのが、土方歳三最後の場所となった「一本木関門」を再現したもの。

ここから一歩入ると、館内は大きく3つの部屋に分かれている。

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 展示室1では、箱館戦争の史実を知る最も貴重な資料である「麦叢録付図」や短銃、土方歳三の掛軸、土方が捜し求めていた古刀和泉守兼定「之定」の長刀と短刀などの展示。

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 展示室2では、土方らを乗せ、夢と希望を求めて新天地蝦夷へ向けて航海した「開陽丸」の世界となる。

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 蝦夷共和国の夢が再び蘇ってきそうである。

館内オリジナル映像コーナーでは、ドキュメンタリーDVD「武士を超えた義士・土方歳三箱館に死す」が放映されていた。

続いて、2階部分の「石川啄木函館記念館」に入る。

階段を上がってまず見えてくるのが、石川啄木が愛した函館と啄木に関する資料がある展示室。

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ここでは、「一握の砂」初版本や「悲しき玩具」のフランス装丁版など、啄木と深いかかわりを持つ貴重な資料の数々が展示されている。

展示室奥にあるのが、約100名収容できる「浪漫シアター」。

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 この教室は、明治40年の弥生尋常小学校(現・函館市立弥生小学校)のものをイメージしたつくりとなっており、代用教員として務めていた石川啄木(ハイテクロボットが演じている。)が歌を詠んだり、生徒や来館者に話かけたりしながら、授業を進めていくのである。

授業が終わるとカーテンが開き、そこには先ほどまでいた大森浜の風景が広がっていた。

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