木曽川への旅(2008年) その18 熊に怯えながら男滝・女滝まで歩く

予定したより時間が掛かり、50分程歩いてようやく馬籠峠に到着した。
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馬籠峠頂上は標高が801mあり、ここには昔ながらの茶店と正岡子規の石碑がある。

子規は明治24年に中山道を経て松山へ帰省する途中馬籠峠へ立ち寄った。

峠の茶屋で一休みした後、茶店の脇の子規の句「白雲や 青葉若葉の 三十里」を小さな声で詠み、昨日の藪原宿でたっぷり浸った子規とその弟子たちの世界を思い浮かべながら、再び馬籠峠から妻籠宿へ下って行く道を歩き始めた。

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次の目標は一石栃白木改番所跡、それから男滝・女滝である。

1.7kmの道を200m下って行くので、2.2kmの道を200m登ってきた馬籠宿から馬籠峠までの道よりも、この下り道は急勾配の道ということになる。

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一石栃白木改番所跡までの道は杉林の完璧な山道で、例によって周りには誰もいないので熊がひたすら怖く、景気よく熊鈴を響かせながら下って行った。

熊も人間が怖いので、人間の居るような場所には通常は出て来ないのだが、熊も歩く道を間違う場合もあり、人間も熊の縄張りの世界へ間違って入ることもある。

そんな時に出会い頭の遭遇となる訳である。

クマに合わない方法があるとすれば、原則は次の2つとなる。
1 クマがいそうなところへはけっして行かない。
 2 もしクマがいそうな場所に行くときは、クマがこちらの存在に早めに気づくように、音(鈴、ラジオ、話し声、歌声など)を立てながら行動する。

僕の現在置かれている状況はこの2の場合なので、熊鈴で怖い人間がいることを知らせ、けっして僕に近づかないようにしむけている訳である。

こんな歩き方で、馬籠峠から幾らも離れていない一石栃白木改番所跡に辿りついた。


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白木改(しらきあらため;木材・木工品などの出荷取締り)番所は以前妻籠の下り谷にあったが、寛延2年(1749)の山崩れにより一石栃に移され、明治2年まで、木曽五木(ひのき・さわら・あすなろ・こうやまき・ねずこ)をはじめとする伐採禁止木の出荷統制を行ってきた。

当時は無断で木曽の木を持ち出すと「木一本首一つ」といわれるほど罰則が厳しかった。

この場所では十数人の観光客が思い思いのスタイルで休んでいて、熊の幻影からようやく逃れた僕は、彼らとは少し離れた場所で小休止を取り、すぐに次の男滝・女滝へ向け出発した

どうゆう訳か、僕が歩き始めると周りには人影が無くなり、熊鈴だけが辺りに響き渡って行く。

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道の脇は小沢が流れていて、この沢に沿って歩いて行っても、多分迷うこともなく妻籠宿に行くことができるのだろう。

川幅や水量から見て、この小沢には余程小さな岩魚でもない限り住めないだろう。

ただ、熊はこんなとこでも縄張りにすることが可能で、辺りを見回しながら歩くことが求められる。

白木改から男滝・女滝までは最も熊との遭遇の可能性がありそうだと、最初から感じていた。

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ここで、旅に出る前に調べていた熊の出くわしてしまったときの対処法を思い出し、それを頭の中で反復した。

熊に出くわした時の対処法だが

1)とにかく、あわてない。

2)まず、クマにこちらが弱いと思われないようにする。

3)同時に、クマを心理的に追い詰めないようにする。

4)その上で、ゆっくりクマから離れる。

ということになる。

北海道に生息する羆(ヒグマ)と違い、本州に生息する月の輪熊は体格も小さいし、食性は植物食傾向の強い雑食で、果実、芽、昆虫などで、生きている人間を餌とはしていない。

ただ、子ども連れの母熊は、子どもを守るために人を攻撃することがあるので、最も危険で、小熊を見つけた場合は母熊が近くにいることを考えて行動することが必要となる。

熊に出くわした時の対処法で最悪なのは、遭遇した時に背中を見せて逃げることと、死んだふりをすること。

中山道の風景を味わいながら、熊との遭遇の恐怖も同時に脳裏に浮かべ、またどうにか目的地の男滝・女滝まで辿りついた。

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居合わせた方に頼んで男滝・女滝案内看板前で記念撮影。

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