最上川と「おくのほそ道」の旅 その31 芭蕉乗船之地、本合海へ
今回から、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の旅の山形県部分の2回目の旅を掲載する。
上図の茶線のように芭蕉は出羽路を旅したが、僕はまだ平成19年9月の最上川の旅では黄線部分で示した山刀伐峠-尾花沢-大石田-立石寺間しか旅していない。
平成27年5月に赤線で示した区間を旅する機会に恵まれたので、これから芭蕉の「おくのほそ道」2回目の旅に出発する。
スタート地点は本合海で、この地は陸路のない時代に内陸と庄内を結ぶ最上川舟運の重要な中継地として栄えた。
大石田を後にした芭蕉一行は新庄で2泊し、1689年6月3日に本合海の船着場から最上川を下る舟上の人となった。
芭蕉が船に乗った地には芭蕉と曽良の堂々とした石碑が建っていて、別の場所には「五月雨をあつめて早し最上川」の句碑が建てられていた。
この句の中で、芭蕉の使ったさみだれの意味を確認しておくと、「さみだれ」の「さ」は田植えの古語で、古来の田植えの時期(現代の農法よりやや遅く6月ごろ)を意味し、「早苗」「五月」の「さ」と同語源。
「みだれ」は「水垂れ」で雨の意で、田植え時期の長雨のことで、つまりは梅雨のこととなる。
なおこの俳句は、5月29日夜大石田の船宿経営高野平左衛門方にて行われた句会の冒頭の発句「五月雨を集て涼し最上川」を、最上川を下る船上で、「涼しを早し」とだけ変えた有名な句である。
もう一度石碑前に戻り、石碑を正面から見るとこんな感じで、左横には史跡芭蕉乗船之地とかかれた標柱が建っている。
芭蕉乗船之地の辺りの最上川風景だが、今は5月なので芭蕉の旅した頃よりは少し前の季節である。
時々本降りになるが、今は小雨程度の雨が降っていて、最上川の流れはとても緩やかであった。
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