日本最長10河川の旅で出会った「日本を代表する人物」 その6 宮沢賢治の書いた童話や物語から その3 風の又三郎

賢治の童話の中でも一番有名なものは、「風の又三郎」そして「銀河鉄道の夜」だろう。

風の又三郎は、小学生の読み物としては面白いと感ずる、登場人物の年代に合わせた童話である。

9月の台風の多い時期、転校生として北海道から鉱山技師の父親と一緒にやって来た高田三郎は、山の小さな学校(1年から6年まで一教室)の4年生として編入される。

この地方では、風の神の又三郎の存在が信じられており、大風が吹いた時など又三郎が暴れているとかいう言い方で、風の神と共存していた。

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高田三郎という転校生は子ども達にとっては新しく出会った未知なもの、不可解なものに該当し、人間と言うよりは人間を超えた不思議なもの、風の神様である又三郎の化身ではないかと思われていた。

転校生は地元の子ども達には異質な存在で、三郎は外国人や風の神として子どもの目には映っている。

それが、学習や遊びを通じて親しくなるに連れて、僕たちと同じ人間なんだと理解するようになり、異質だった三郎を受け入れるようになる。

三郎も異質な世界に同化するようになる。

次第に理解し合えるようになった矢先の嵐の吹き荒ぶ日、転校してから10日が過ぎたころ、また三郎は突然子ども達の前から消える。

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先生は、親の都合で北海道へ転向したことを子ども達に伝えるが、子ども達は、三郎はやはり風の又三郎だったんだと信じるようになる。

ただ、この物語は多くの賢治童話のように未完のまま賢治のボストンバッグにしまわれていた作品で、賢治が無くなったのは37歳だから、その時まで世の中に出ていた作品は、詩集「春と修羅」、童話では「注文の多い料理店」くらいだったという。

賢治の有り余る豊かな才能は、彼の生前はほとんど世の中に知られることも無く、無名に近い詩人や文学者として巷の人となっていた。

賢治は死ぬまで、これらの物語に手を入れ推敲を繰り返していたという。

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