最上川と「おくのほそ道」の旅 その35 鶴岡市街の芭蕉の足跡を訪ねる
羽黒山の三神合祭殿を出発し、芭蕉の「奥のほそ道」の足跡の残る鶴岡に向かった。
鶴岡市街の中心部にある鶴岡公園の東側を流れる内川がS字を描いているあたりに、芭蕉の史跡が集中して残されている。
これから赤字アの芭蕉乗船の地跡、赤字イの長山重行邸跡、赤字ウの山王日枝神社内の松尾芭蕉句碑を順に見て回る。
まず、赤字アの芭蕉乗船の地跡である。
元禄2年(1689年)6月10日(陽暦7月26日)に羽黒山を下り、鶴岡城下の庄内藩士長重行邸で地元の俳人たちと俳諧を楽しむ3日間を過ごした芭蕉は、6月13日にはこの内川の船着場から酒田に向かった。
酒田まで7里(約28km)、ほぼ半日かかった。
次に赤字イの長山重行邸跡に向かった。
車を芭蕉乗船の地跡近くの公道脇に停めてきたので、違反が気になり大急ぎでここまで来た。
芭蕉は長山邸に入ると三山巡礼の疲れからすぐに休息し、夜になってから曽良、重行、呂丸と歌仙を巻いた。
その時の芭蕉の発句が句碑としてここに残っていた。
「めずらしや 山を出て羽の 初茄子」という句で、食前に供されたこの地方の名産一口茄子(民田茄子)が目にとまったのだと推測されている。
ここを見ると大急ぎで車に戻り、赤字ウの山王日枝神社に向かった。
この神社は当地方で一番古い社と言われており、、出羽国田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市)草創以前にすでにあったと伝えられている。
神社の一角の弁天島弁天島(通称 お山王はんの池)の傍らにも芭蕉の句碑があったが、ここの句も「めずらしや 山を出て羽の 初茄子」であった。
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