木曽川への旅(2008年) その25 藤村の初恋の人に会う

下図は本陣と脇本陣と脇本陣の隣の歴史資料館の位置関係であるが、この三館の共通入館料が700円で売られていて、それを買って三館を廻った。

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妻籠本陣はさっと見て、脇本陣に向かった。

妻籠の脇本陣は屋号を「奥谷」と称し、代々林氏が脇本陣・問屋を勤めた家。

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現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い建てられた。

脇本陣は、本来本陣の予備的な施設だが、江戸時代ではなく明治に作られたもので、家の中も立派でしっかり作ってある。

特に休憩室や宿泊室は明治天皇のために作られたものだという。

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実際に明治天皇がここで休憩され、有栖川宮が2回に渡って宿泊されたということが、書面に書かれていた。

脇本陣奥谷は、島崎藤村の初恋の人おゆふさんの嫁ぎ先でもある。

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ここには、おゆふさん関連の資料が整然と並べられていた。

馬籠宿の今は藤村記念館となっている藤村生家の隣が、詩集『若菜集』の「初恋」のモデルとされているおゆふさんの生家大黒屋である。

おゆふさんは明治5年に馬籠の大黒屋大脇信常の長女として生まれ、14歳で妻籠の脇本陣奥谷の林亀寿郎に嫁いだ。

おふゆさんと藤村は同い年で、幼馴染の間柄だった。

そして、「初恋」である。(現代文の対訳をその後につけるとこうなる)



「初  恋」



まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛(はなぐし)の

花ある君と思ひけり



いつも君と会う約束をしている林檎の木に行ってみると、髪を結い上げたばかりの君の姿が見えた。昨日までとは見違えるような大人になった君は、前髪に花櫛を挿していた。

僕は君の髪に花が咲いたように思うほどだった。



             やさしく白き手をのべて

             林檎をわれにあたへしは

             薄紅の秋の実に

             人こひ初めしはじめなり



着物の袖から、まぶしいくらい白い手を差し伸べて、君は林檎をくれたね。僕はその林檎を君の身代わりのように大切に思って、林檎に恋をしたのが恋の始まりだった。



             わがこゝろなきためいきの

             その髪の毛にかゝるとき

             たのしき恋の盃(さかずき)を

             君が情(なさけ)に酌(く)みしかな



急に大人びてしまった君に、僕はどう話しかけていいかわからなかった。顔を合わせるほど傍にいると、僕の口から思わずため息がもれ、吐息が君の前髪にかかった。

僕は今、恋の盃に君の純情を酌んで、青春の美味に酔っているんだ。



             林檎畠(りんごばたけ)の樹(こ)の下に

             おのづからなる細道は

             誰(た)がふみそめしかたみぞと

             問ひたまふこそこひしけれ

君とこの林檎の木でもう何回会ったことだろう。気がついたら、二人が通い続けた証(あかし)に、いつのまにか細い道が生まれていた。

それなのに、君はわざと僕に聞くんだ。「ねえねえ、誰がこの道をつくったのかしら」って。そんないたずらっぽい君が、よけいに僕は愛おしい。

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赤矢印の人が晩年のおゆふさん、藤村は左端にいる。

なお、「初恋」の相手の女性は、熱心な研究者の研究もあり、藤村の明治女学校での教え子の佐藤輔子という説も有力である。(この二人の女性を、藤村は頭の中でブレンドしながら、一人の初恋の人を創造し、作品化したというのが本当のところだろう。)

歴史資料館はさらっと通り抜け、今夜の宿に向かった。

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