木曽川への旅(2008年) その27 妻籠を去る日の朝
2008年9月13日(土)、憧れの地であった妻籠を去る日の朝が来たので、思い残すことがないよう妻籠宿を再度歩いてみた。
妻籠宿の全部を紹介することは出来ないので、赤字1〜4までの箇所を紹介するに留めたい。
まず、赤字1の妻籠宿の外れの高台に位置する民宿大亀石のあたりだが、ここの前には水車が廻っていた。(余談だが、民宿大亀石の近くにある黄四角内の民宿ふじ屋に最初は予約を入れていたが、宿の女将さんが病気が見つかって手術と入院が必要とのことで、宿泊を断られた。どうしておられるか、ここまで歩いてくると気にかかった。)
続いて、赤字1とほぼ同じ場所にある、赤字2にある史蹟等の紹介である。
まず、高札場であるが、これは今的にいうと「官報掲示板」である。
続いて口留番所跡と鯉岩。
口留番所は関所のことで、ここには戦国時代から17世紀半ばまで、妻籠の関所が置かれていた。
写真右下部分の鯉岩だが、元は鯉が立っているような形をした大岩で中山道三名石の一つだったが、明治24年の濃尾大地震により頭の部分が落ち、形が今のように変わってしまったという。
そして、赤字3の旧妻籠小学校。
ここは平成9年3月19日が最後の卒業式(僕の旅はそれから11年後のこと)で、その時の卒業生は11人だったという。(妻籠も、過疎化、高齢化、少子化が進んでいるようだね。)
それから、赤字4の光徳寺。
白壁をめぐらせて石垣の上に建つ様は、まるで城のようである。
妻籠宿内では最古級かつ最大規模の建造物で、臨済宗妙心寺派の寺。
寺の入口に、「何不足 人は裸で 生れたに」とあった。
最後に、生駒屋のあたりの風景を目に焼き付け、妻籠宿をあとにした。
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