近江街道をゆく その44 三井寺まで
「近江街道の旅」の目的は、鬼室集斯の墓にたどり着くことで、既に十分完了している。
今日11月8日(火)の旅は、琵琶湖1周の旅の完走くらいだろう。
ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地もしっかり訪ねたし、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着くことも既に何度か果たされた。
朝起きて、部屋の中から近江八幡の街を眺め、今日の行程の確認をした。
こんな計画を立てていたが、実査にはこの半分も行ってないという結果だった。
その理由の大半は、琵琶湖大橋以南の車の渋滞で、一つの目的地に到達するだけで二つ分以上の目的地制覇時間がかかったことに起因している。
あとは、午後からの天気が大荒れ状態となって、車の運転どころではなくなったことによる。
条件の許す範囲で、見れるものは見たというのがこの日の旅の成果だった。
いつもの朝食を食べて、午前7時半にはホテルを出た。
絶景有料の琵琶湖大橋を自分の手で撮したかったが、レンタカーを停める場所が見当たらなくてそのまま素通り、大橋の写真はネット借用となった。
堅田、雄琴、坂本と、旅の最初に通過した町を逆方向から通り過ぎ、渋滞には遭ったがそれでも1時間ほどで、最初の目的地である三井の晩鐘で有名な三井寺に到着した。
仁王門(大門)の右手前の石にも標記されているが、三井寺の正式名称は園城寺である。
「三井寺」の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったとのこと。
大きなお寺で、この図に乗っているのは右半分で、もう半分の伽藍をこの寺は抱えている。
この幅の広い階段を上がると、正面に見えるのが金堂である。
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