木曽川への旅(2008年) その23 東山魁夷心の旅路館で「留学時代1」を鑑賞
桃介記念館をあとに、東山魁夷心の旅路館に向かった。
東山魁夷心の旅路館は、岐阜県中津川市山口に所在する美術館で、道の駅賤母に併設されている。
「賤母」の地は、東山魁夷の風景画家としての出発点となったところだという。
この美術館は、1994(平成6)年に東山魁夷から作品500点余の寄贈を受けて開館し、魁夷の版画作品(リトグラフ・木版画など)を展示している。
個人的に東山魁夷は好きな画家の一人で、木曽川の旅のつかの間の休憩と癒しの時間となった。

その時は「留学時代1」という企画展が開催されていた。
留学時代とは、魁夷がドイツのベルリン大学に留学していた時のことだろう。
ここはもちろん館内の写真撮影は禁止だったので、どんな作品が展示されていたのか記憶も資料もまったく残っていない。
ドイツ留学時代の作品として東山魁夷心の旅路館に収蔵してある作品をネットから拾ってみた。
この絵は、スケッチ作品の「ケーニヒス湖の少女」である。
この絵は、スケッチ作品の「シャモニーの山」である。
魁夷のドイツ留学は東京美術学校を卒業して間もなくの1933年(26歳)のことで、ドイツを拠点に2年間、ヨーロッパの美術の研究と生活を体験した。
留学の理由として、憧憬と郷愁(東山魁夷記「オーストリアの旅から」)の中でこう書いている。
「若い時の私は、感覚的な要素の多い青年であった。ドイツに留学したのは、1つには知性による支えが欲しかったからである。」と。(下の絵は留学時代の「ベルリンの町」)
しばしの間だが、魁夷の青春の地であり、東山芸術の理論的確立ともなったドイツ留学時の体験を追体験した。
展示館のどこにあったか忘れたが、「東山魁夷からの木曽へのメッセージ」という文が展示されていたので紹介する。
美術学校へ入って最初の夏休みに友人と共に,木曽川沿いに八日間のテント旅行をしながら,御嶽に登ったのが,私を山国へ結びつける第一歩でした。
この旅の途中,山口村(現在の中津川市山口)の賤母(しずも)の山林で大夕立に遇い,麻生(あそう)の村はずれの農家に駆け込んで,一夜の宿を求めました。そこで私は思いがけないほどの温かいもてなしを受けたのです。(下の絵は美校時代の「山国の秋」)

この旅で,それ迄に知らなかった木曽の人たちの素朴な生活と,山岳をめぐる雄大な自然に心を打たれ,やがて風景画家への道を歩む決意をしました。
それは画家を志した頃の緊張した気持,一つ一つ積み重ねてゆく意志的な努力と言ったもの,その象徴が北国の姿だったのです。このことが少年期を過ぎ青年になったばかりの私には,大きな人生の開眼であり自然の発見でもありました。
その後は何かに取り憑かれたように信州各地の山野や湖,そして高原へと旅を重ねて,四季折々の風景を描き続けてきました。
この緑濃い賤母の森蔭に「心の旅路館」と名付けた私の版画による展示館が設立されたのも,木曽路と私を結ぶ縁(えにし)の糸がだんだん大きく太くなった結果かもしれません。この地を過ぎる旅の人達にとって,暫しの安らぎと憩いの場になれば,誠に幸いに思います。(1995年8月)
良い絵を見れて、つかの間の心と身体の癒やしとなった。
なお東山魁夷については、2日後の帰り道に長野市の長野県信濃美術館・東山魁夷館に立ち寄るので、その時じっくりと対面するつもりである。
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