阿武隈川(2007年)とおくのほそ道の旅 その4 伊達正宗の貞山堀を見る

ここから「芭蕉のおくのほそ道」などを辿る旅に出る。


イメージ 1


まず、「芭蕉のおくのほそ道」に沿って黄色の実践部分を旅するが、仙台や松島や石巻などを通り、最終目的地は平泉の中尊寺となる。

初めに貞山堀を見てから仙台に向かう。


イメージ 2


貞山堀は伊達政宗が仙台開府のときに、仙台米などの物資を水上輸送するために掘った運河で、当初は内川とか堀川あるいは御船引堀などと言われた。

正宗以後も掘り続けられ、これによって仙台平野の諸川は横糸としてつながれ、南は阿武隈川河口付近から、北は北上川河口の石巻付近まで続いている。

そのあたりは明治になってから造られたもので、全長47km程の長大な仙台藩の遺跡である。


イメージ 3


上の写真は大震災前の木曳掘の風景であるが、こんな幅の運河が阿武隈川河口部から北上川河口部まで、延々と47kmに渡って続いているのである。

東北の二つの大河を運河で結ぶ壮大な構想とそれを現実にした政宗の器の大きさは並のものではなく、まさしく天下人となった信長や秀吉や家康級の大きさだったのだろう。


イメージ 4


隣の中国を見ると、これは桁外れと言えるが、京杭大運河というものがある。

北京から杭州までを結ぶ総延長2500キロメートルに及ぶ大運河で、途中で黄河と揚子江を横断している。

戦国時代より部分的には開削されてきて、隋の文帝と煬帝がこれを整備し、610年に完成させた。

隋の文帝や煬帝にも匹敵するような大きな世界観(通常は野望というが)を持っていた伊達政宗の正体を負いながら、これから芭蕉とともに彼の世界観で造られた戦国都市(こう言い切るのは気が引けるところもあるが)の仙台へ向かう。


イメージ 5


伊達氏の第17代当主で仙台藩初代藩主となった伊達政宗は、永禄1083日(156795日)、出羽国米沢城で生まれた。

最上川の旅で訪れた米沢城跡には、伊達正宗公生誕の地の標柱が建っていた。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック