天竜川の旅 その2 源流の地「釜口水門」を見学
上越道、信越道、長野道と高速を乗り継ぎ、岡谷インターで高速を出て、岡谷市内を進み、天竜川の源流の地である釜口水門にたどり着いたのはほぼ予定時刻の午前10時だった。
源流が湖というのは、日本の十大最長河川の中ではここだけである。
水面の標高が759mもあるので、ほとんど丘のような場所から流れ出ていた姫川や北上川の源流地とは様相が違う。
では早速、風変わりな源流地となっている釜口水門の見学。
上越道、信越道、長野道と高速を乗り継ぎ、岡谷インターで高速を出て岡谷市内を進み、午前10時頃には天竜川の源流の地である釜口水門にたどり着いた。

この釜口水門の歴史だが、諏訪湖には31の河川が流れ込み、流れ出るのは天竜川のみ。
このため諏訪湖は昔からはんらんをくりかえしていた。
江戸時代から天竜川への出口(釜口)を広げる工事がされ、大正時代には釜口から下流約1.5kmの間の掘り下げ工事が行われた。
昭和に入っても諏訪湖のはんらんは続いたため、天竜川をさらに掘り下げると同時に、この掘り下げにより諏訪湖の水位が低下することを防ぐ目的で、昭和7年から初代「釜口水門」が建設され、昭和11年に完成した。
しかし、その後も水害は続き、昭和36年、58年に大きな被害があった。
昭和48年に天竜川水系全体の治水計画が見直され、初代水門の約80m上流に放流能力の大きな新水門を造ることとなり、昭和63年に2代目「釜口水門」が完成した。
釜口水門の上は人が通れるようになっており、僕もこの釜口橋を往復してみた。

右手は天竜川源流の流れとなり、左側には諏訪湖が広がっている。
非常に大切な仕事をしている、風変わりな源流地の風景である。
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