金沢紀行 その19 松玄庵跡と願念寺の一笑塚を見て回る。
まず、犀川河畔に近い松玄庵跡を探した。
この場所は、「松尾芭蕉と城下町金沢」というタイトルのパンフレットに松玄庵跡の写真が載っていたので、その写真を手掛かりに10分程この辺りをうろうろしたり通りがかりの人に聞いたりして、ようやく探し出した場所である。
この写真はパンフレットの掲載写真と同じ位置から撮ったもので、ここに芭蕉の門人である斎藤一泉の松玄庵があった。
一泉は松玄庵に芭蕉一行を招待して、ここで俳諧を行った。
その時に新鮮な瓜や茄子が出されたので、芭蕉の提案でさっそく句会が始まったという。
芭蕉がここで最初に披露した句が、「秋涼し手毎にむけや瓜茄子(うり・なすび)」である。
意味は、「残暑が厳しかったが、この頃はだいぶ涼しくなった。新鮮な瓜や茄子をそれぞれが皮を剥いていただこう」という意味である。
ここで北枝、牧童、小春、一泉、句空、雲口等の金沢の芭蕉門下生達は大いに盛り上がりながら句会を楽しんだのである。
次に願念寺に行った。
芭蕉はここで、「塚も動け 我泣声は 秋の風」と詠じ、深い悲しみを表した。
ここには一笑の辞世の句が刻まれている。
「心から 雪うつくしや 西の雲」
願念寺を出て、再び芭蕉の一笑追善の句を読んだ。
死に臨んで、なかなかこのような澄み切った清らかな句を常人は詠えないと考えると、彼の夭折が芭蕉には余程悔しかったのだろうと推察された。
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