東京散歩Ⅱ その50 浄土真宗髙田派三寺を訪問
司馬遼太郎の「街道をゆく 赤坂散歩」を参考書として、浄土真宗髙田派三寺をこれから訪問する。
最初の寺は正福寺で、門には三つ葉葵の家紋がある。
正福寺の山号は櫻田山といい、光教院休傳法師が開基となり影正庵として創建し、1726年に現寺号に改めたという。
赤坂散歩を読むと、「一番初めに江戸人というものができたとすれば、この桜田村が一番だろう。」と書いている。
最初の江戸人が住んでいた場所を、今歩いているのである。
この桜田村の下に溜池があり、東京の水瓶となっていたのである。
次に、正福寺の向かいにある林誓寺を訪ねた。
この真宗高田派寺院が立ち並ぶ小路の奥に3番目の寺である澄泉寺があった。
この寺の前にはこのようにりっぱな鐘楼があり、専用の駐車場も持っている。
澄泉寺は山号をといい、惠称院唯光大和尚が開基となり元和元年麻布櫻田に創建、寛永3年に地所が御用地となり、当地へ移転したといわれる。
江戸期には塔頭3ヵ寺(正福寺、林誓寺、常国寺)を擁し、至心山唯念寺・光澤山称念寺と共に真宗高田派の触頭となっていた。
今もその格式は続いているのだろう、他の寺に比しりっぱな理由がわかった。
澄泉寺の私道を歩いて奥へ進んでいくと、そこには澄泉寺の墓地があった。
墓の中をゆっくりと歩いて行く。
高層ビルを背景に墓地を形成しているこの一角は、最も古い江戸人が住んでいた場所でもある。
墓地の突き当たりには塀があって、その下は崖となっている。
ここまで歩いて来ると木も鬱蒼と茂っていて、今にもそういう方々が墓の中から現実に出現するような感じがした。
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