東京散歩Ⅱ その51 氷川神社から旧海舟邸まで
浄土真宗髙田派三寺に別れを告げ、氷川神社に向かって歩いて行く。
氷川神社へは、南部坂を通って行った。
南部坂は赤坂二丁目と六本木二丁目の境界を、アメリカ大使館宿舎わきを西北に上り、左折してさらに氷川神社のほうに上る坂である。
坂の名称は、江戸時代初期に近隣の氷川神社の辺りに南部家中屋敷があったことに因むが、この坂が急峻なことから、難歩坂(なんぶざか)と書き表されることもあったという。
氷川神社へ向かう途中で、氷川坂という名の坂があった。
氷川神社の周りにはいろいろな坂がある。
この地図を見てもわかるとおり、10箇所の坂がある。
そして、氷川神社到着である。
この氷川神社は江戸七氷川の筆頭とされており、他の神社と区別するため赤坂氷川神社とも称している。
将軍徳川吉宗の命により現在地に遷され、現在の社殿はこの時に造営された。
なおここは、浅野土佐守邸跡(忠臣蔵の浅野内匠頭の夫人である瑤泉院の実家)であった。
ここは氷川神社社殿だが、本殿・幣殿・拝殿の三つが一体となった権現造りの形式で、先に紹介した徳川吉宗により1730年に建てられた。
氷川神社を出て、この本氷川坂を歩いているが、ここの右角一体に勝海舟の屋敷が立っていたという。
表通りに面したソフトタウン赤坂の前に、勝海舟邸跡と書かれた木製の標柱が建っていた。
この地は幕末から明治にかけて幕臣として活躍した勝海舟が、1859年から1868年まで住んだ場所である。
海舟は赤坂の地を愛し、3箇所に住んだが、ここに住んだ10年間が最も華々しく活躍した時代であった。
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