飛騨街道をゆく(2014年の旅) その4 ドライブイン数河で昼食後、飛騨古川へ

神岡を出てからは途中寄るところもないので、今夜の宿となる飛騨古川町(飛騨市の中心の町で市役所が置かれている。)へ向かった。

その前に昼食であるが、当初の計画通りにドライブイン数河で食事することにした。

ドライブイン数河は、司馬遼太郎の飛騨紀行の一章である「飛騨礼賛」の中で出てくるドライブインである。

正式住所は、岐阜県飛騨市古川町数河863で、ここはもう古川町である。


「見晴らしがよく、冬はスキーでにぎわうゆるやかな斜面の地で、江戸時代にここの村人たちは陽あたりのいい斜面に生えている菅(スゲ)を取り、菅筵をつくって商品としていたという。」と司馬は飛騨礼賛の中で書いている。

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 そのドライブイン数河へ到着した。

模造わら屋根の大きなドライブインで、正面にみやげものが盛り上げられ、奥の大食堂は最大800名様の受入れが可能とのことである。

もっとも司馬遼太郎がここで食事をしようとした時は、高山市にできた宗教教団本部詣りの団体が既に予約していて、70台ものバスでここに押し寄せ、司馬さん一行は不愉快な思いをしながら、ここからすこしはずれた土手の上にある山小屋風の店でカレーライスを食べた。

遼太郎ファンとしてはその山小屋風の店で食事をすればいいのだが、ドライブイン数河で食事をとった。

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 700円の日替わり定食を食べる予定だったが、司馬遼太郎に併せて、900円の飛騨牛カレーを奮ぱつしておいしく食べた。

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 食事のあと、道路の上にかかっている横断歩道橋に上がり、ドライブイン数河の全体を見下ろしてみた。

食事を終え、一気に数河高原を駆け下り、神通川の上流となっている宮川を右手に見ながら、今日の最終目的地である飛騨古川町へ到着した。

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宮川の河岸で一旦車を停めた。

宮川の最初の一滴は、岐阜県の分水嶺となっている岐阜県飛騨地方の川上岳(かおれだけ:標高1,625.9m)から流れて来て、高山市や古川町を流れ下り、神岡町で高原川と合流し、神通川となり日本海に注ぐ。

ひと時宮川河岸の絶景を楽しんだあと、今夜の宿である大関屋旅館に連絡を取り、我が愛車レガシーを大関屋旅館に駐車させてもらうことにした。

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この大関屋旅館は、「キューポラのある街」で大ブレークした作家である早船ちよさんが生まれた家である。

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