直江兼続の旅 その10 「安吾の散歩道」を歩き始める

 大棟山美術博物館館には30分も居ず、午後0時40分にはここを出た。

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 後を振り返ると、村山家が造り酒屋だった頃の名残りの巨大な煙突が、まるで僕を見送ってくれるかのように、時の流れの中にも風化されずに悠然と立っていた。

 これから散歩好きの坂口安吾が通った村山家から出発して、兎口、湯峠を経て湯本、湯山と歩いて再び村山家に戻ってくる一周約8.5kmの「安吾の散歩道」を車で周ってみる。

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 この卵を少し斜めに傾けたような黒い道が、「安吾の散歩道」と呼ばれている道である。

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 まず最初に、村山邸(大棟山美術博物館館)のすぐ近くにある松之山小学校に行った。

 この小学校の前のブナ林の中に、村山邸で見た小説「黒谷村」の冒頭文である「夏が来て、あのうらうらと浮く綿のような雲を見ると、山岳に浸らずにはいられない」と刻まれた安吾文学碑がある。

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 この文学碑は、昭和62年10月に県内外の多くのファンの浄財により建立された。


 ここには1994年10月23日に、親しい仲間の親睦会である「温泉同好会」の秋の旅で訪れたことがある。
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 「直江兼継の旅」は2009年8月22日・23日に挙行した旅なので、この写真は15年も前のものである。

 写真に写っている仲間は3人であるが、この時は4人で旅している。

 「安吾の散歩道」を巡る間は、「温泉同好会」のこの3人も加えて、「直江兼継の旅」を旅して行くことにする。

 ここで少し小説「黒谷村」の冒頭文を読んでみる。

 「矢車凡太が黒谷村を訪れたのは、蜂谷龍然に特殊な友情や、また特別な興味を懐いてゐたためでは無論ない。まして、黒谷村自体に就ては、その出発に先立つて、已に絶望に近いものを感じてゐたのだが、それでも東京に留まるよりはましであると計算して、厭々ながら長い夜汽車に揺られて来たのだ。

 夏が来て、あのうらうらと浮く綿のやうな雲を見ると、山岳へ浸らずにはゐられない放浪癖を、凡太は所有してゐた。あの白い雲がうらうらと浮いて、泌しむやうな山の季節を感じながら、余儀ない理由で都会に足を留めねばならぬとき、彼は一種神経的な激しい涸渇を感じて、五感の各部に妙な渇きを覚えながら、不図不眠症に犯されてしまふ。
 特別な理由があるわけではないが、彼の半生を二つの風景が支配してゐた。一つは言ふまでもなく山岳であり、そして他の一つは、あのごもごもとした都会の雑踏であつた。この二つの中へ雑まじるとき、彼はただ、何といふこともなく確かに雑るといふ実感がして、深く身体の溶け消えてゆく状態を意識することが出来るのであつた。
 日頃負ふてゐる重荷をも路傍へ落し忘れて、静かにそして百方へ撒かれてゆく軽快なリズムを、耳を澄ませば一種じんじんと冴えわたる幽かな音響に、聴き分けることも出来るのであつた・・・・・・・

 以下省略するが、今改めて読んでも、見事としか言いようにない冒頭部分で、小説「黒谷村」は紛れも無く坂口安吾の傑作小説である。

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