奈良大和路散歩(2016年の旅) その3 神霊の宿る石上神宮を歩く

天理教の施設を抜け、これから石上神宮に向かう。

石上神宮は古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する非常に歴史の古い神社である。

古事記・日本書紀には石上神宮・石上振神宮との記述があり、古代軍事氏族である物部氏の総氏神として物部氏が祭祀し、またヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。

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ここは石上神宮へ向かう道で、石上神宮は写真右方の森の中にある。

この辺りは布留という地名で、布留とは神にかかる枕詞である「ちはやふる」のふるで、ふるという名を付けるほど、古代人にとっては神霊の宿るかのような景色だったと思われる。

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神社の大鳥居をくぐる前から、ただならぬ神さびた気配があたりに漂い、神の住む世界にこれから入っていくのだという心構えが自ずと出来てくる。

司馬遼太郎が「竹内街道」で書いていた、「測りしれぬ古代からつづいている大和の息吹がなお息づいている」という感覚が、石上神宮やそれを取り巻く布留の森からは今でも感じられる。

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しばらく歩くと目の前に大鳥居が立っていて、いよいよここからが石上神宮の中に入っていく。

歩いて行くと、突然けたたましく鳴く鶏の声がした。

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この鶏は鳴いてはいなかったが、石上神宮の一番の人気者が鶏だということで、現在約30羽が放し飼いにされ、参道や境内の各所で元気に歩き回って、けたたましく鳴いていた。

鶏はすでに古事記・日本書紀に登場し、暁に時を告げる鳥として神聖視され、神様のお使いともされていたので、調べてはいないが古代の石上神宮で飼われていた可能性はある。

現在の鶏は今から40年程前に奉納され、時にはイタチなどの小動物による被害を受けるが自然繁殖もあり、羽数は大きく変ることはないという。

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鶏たちは夕方暗くなる前に、低い木々から順々に高い枝に飛び上がりそこで一夜を過ごすが、烏骨鶏やレグホンは高く飛び上がることが出来ず、この鶏舎で夜を過ごす。

突然の鶏の登場にびっくりしたが、これから拝殿に向かう。

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拝殿は入母屋造の檜皮葺で、白河天皇が新嘗祭を行う皇居の神嘉殿を拝殿として寄進したとの伝承があるが、実際の建立年代は鎌倉時代初期とみられる。

仏堂風の外観をもち、貫(柱を貫通する水平材)を多用するなど、大仏様の要素がみられ国宝に指定されている。

ここまでは鶏でびっくりすることはあっても、石上神宮は普通の神社である。

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ここで、石上神宮の境内マップ紹介である。

禁足地とあるのが、石上神宮を最も石上神宮らしくさせている場所である。

石上神宮には拝殿の後方に禁足地と称する「高庭」が存在していて、この「高庭」こそ古代人が神の宿る場所として畏敬していた場所であった。

ここでは拝殿のみが存在し本殿がなく、本殿はあくまでも地面である「高庭」だったのである。

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禁足地である「高庭」には、古来から当神宮の御神体である神剣が土中深く祀られているという伝承があった。

神剣は、古記録では崇神帝の7年に神武帝が日向から大和を東征するときに使った剣とされていて、「布都御魂大神」という名がついていた。

明治7年8月に当時の大宮司菅政友が官許を得て「高庭」を調査したところ、この神剣が出土し、それに伴って多くの玉類・銅鏡・勾玉・管玉なども出土した。

その後、明治43年から大正2年にかけて神剣を奉安するために本殿を建立した。
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鶏たちに見送られながら、半分神話の世界に眠っているような石上神宮を離れ、これから日本最古の歴史書「古事記」や日本最初の正史である「日本書紀」を参考にしながら、日本最古の官道である「山の辺の道」を歩いていく。

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