阿武隈川(2007年)とおくのほそ道の旅 その23 白石城を見学
旧小関家を出て、これから白石城へ向かう。

白石城を築城したのは鎌倉時代以後に白石の地に居住した刈田氏で、氏は後に白石氏と性を変えた。
城の主はその白石氏から、蒲生氏、上杉氏、そして伊達氏の家臣である片倉氏と変わっていく。

3〜4分歩いて城の下に到着、これから傾斜の緩やかなこの階段を上がって復元された大手一ノ御門、大手二ノ御門、櫓廻り土塀、門廻り土塀、大櫓(三階櫓)まで近づいていく。

この仰ぎ見ている建物は一見天守のように見えるが実は天守の代用となっていた復元された大櫓(三階櫓)で、白石城が支城であるという格を考え幕府への配慮から、天守の名をはばかって大櫓と名づけられたとされている。
1995年に復元された門廻り土塀を見ながら、同じ年に木造復元された大手一ノ御門を通って城の中に入っていく。
次は大手二ノ御門で、やはり同じ1995年に木造復元された。

この門には城復元材で最も太い約60cmの木材が使用されているが、国内産ではなく樹齢1000年以上の台湾檜とのことである。
この門を潜ると本丸である。

大櫓(三階櫓)のすぐ横には井戸があり、その後ろに鐘堂が建てられている。
復元された建物はほんの一部で、本丸の中はそのほとんどが空き地となっている。

いよいよ大櫓(三階櫓)へ入場である。
ここは城主が住まいとしていたものではなく、普段は武器等の保管場所になっていた。
一階内の外壁廻りは武者走りで、戦闘状態になったとき武具を付け武器を持った武士達が走り回るため板張りになっていて、1階の北側と西側に石落しがあり石類も保管されていたとのこと。
三階は物見櫓の役割をかねており、室内は畳30畳くらいもあって敵の情勢を見ながら軍議を開くことが可能であった。
物見櫓の三階の高欄から、雄大に広がる白石城下を一望した。
そういえば、1868年の戊辰戦争の際に東北諸藩の代表たちがここ白石城に於いて白石列藩会議を開いたという。
これが奥羽越列藩同盟の結成につながった。


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