「日本最長10河川の旅」で出会った「日本を代表する人物」 その11 天竜川への旅 NO3 柳田國男が本当の意味で誕生した地「利根町」

旧谷中村で簡単な昼食を済ませた後、次の目的地である日本民俗学の父・柳田國男ゆかりの地、茨城県北相馬郡利根町へ向かった。
 
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赤丸印の旧谷中村からほぼピンクの線どおりに利根川を下り、青丸印の利根町布川へ午後3時頃に到着した。

時間も限られているので、利根町では柳田國男記念公苑だけを見ることにした。

柳田國男記念公苑は、國男が少年時代を過ごした旧小川家の母屋、土蔵(資料館)で構成されており、柳田國男の著作物や文書等を展示している。

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國男の長兄・松岡鼎は利根町の旧小川家小川邸内の離れに住み、「済衆医院」を開業していた。

経済的にも自立した鼎は、まず弟の國男を引き取り、次いで両親と下の弟の静雄(後に軍人・言語学者輝夫(後に日本画家・松岡映丘)も、この地に呼び寄せた。

柳田國男は、明治20年初秋13歳の頃から約3年間、ここで少年期を過ごした。
 
國男は体が弱かったことから、鼎の方針で学校へは行かずに裸で野山を駆けめぐり自由に暮らしながら、代々学者の家系であった小川家の土蔵(現・柳田國男記念公苑資料館)に納められた万巻の書物を読みあさった。

日本民俗学の手引書的存在となった『利根川図志』(赤松宗旦著)に出会ったのも、この土蔵の中でのこと。
  
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また小川家の祠(柳田國男公苑所蔵)での神秘体験も、民俗学へ向かわせるきっかけとなったようだ。

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この祠には、石の小さな扉がはまっていて、その中がどうなっているのだろうか國男は興味を持ち、誰もいないのを見計らっておそるおそる開けてみた。

すると実にきれいな玉が入っていて、それを見たとたん気持ちが変になって、見上げた青い空に星が幾十も輝いているのが見えたという。
すると、突然、ヒヨドリが「ピーッ」と鳴いて空をとおり過ぎた。

「もしあの時にヒヨドリが鳴かなかったら、私はあのまま気が変になっていたかも…」と、後年この日の体験を國男は懐かしく思い出している。

徳満寺の「間引き絵馬」に触れた時の衝撃も、後の國男を誕生させる重要な要因となったようだ。

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徳満寺に1枚の絵馬があるのだが、その絵は1人の女が鉢巻を締め、産んだばかりの赤ん坊を、力いっぱい押えつけているというものだった。

障子には、その女の影が映り、角が生えている。

「その意味を私は子供心に理解し、寒いような気持ちになった」と國男は後に述べている。

天明の飢饉(1783)以来、食べ物がなければ、こうする以外方法がなかった。

裸で野山を駆けめぐり自由に暮らしながら万巻の書物を読みあさった少年國男、利根町での3年間が無ければ、日本民俗学のバイブルとも言える『遠野物語』を書いた偉大な民俗学者「柳田國男」の誕生は無かったに違いない。

それ故に、ここ利根町は、柳田國男が本当の意味で誕生した地であり、國男「第二の故郷」と一般的には位置付けられているが、それ以上に重要な意味を持っている地であると言える。

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