大阪散歩 その19 三国ヶ丘を散策

 分岐点から三国ヶ丘の住宅地に入った。
 これから反正天皇陵に向かうが、その途中で向泉寺閼伽井跡と書いてある門と囲いに出会った。
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向泉寺は聖武天皇が行基に命じて創建された寺で、三国ヶ丘一体から百舌鳥のあたりまで広がっていた広大な寺だったという。
河内国が分割されて、河内・和泉・摂津の国が出来て、その境にあることから向泉寺の山号は「三国山」とされたとのこと。
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ここは向泉寺の閼伽井跡で、向泉寺16世紀に火事に会って江戸時代には廃寺になったが、井戸やため池などの史跡はところどころに残っていて、この閼伽井は「あかい」と読み、仏前に供養される水を供給する施設だった。
今は高級住宅街となっている三国ヶ丘を10分ほど歩いて、反正天皇陵の正面に到着した。
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この陵はコンパクトにまとまっていて、見た目もすっきりしているのだが、観光客は仁徳天皇陵などの大きくて有名な陵に集中して、このような小さい天皇陵にはなかなか来ないということで、ここは僕らだけしか見学者がいなかった。
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ここは反正天皇陵の陪冢(ばいちょう;大きな古墳のそばにあたかもそれに従うようにつくられている小さい古墳のこと)で、植えられている木は榎である。
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堺の一等地で、お金持ちが多く住んでいるという三国ヶ丘を気分よく歩いて行く。
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 ようやく方違神社(ほうちがいじんじゃ)の鳥居が見えてきた。
 この道を真っすぐ歩くと、反正天皇陵が再び見えてきた。
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横から見た反正天皇陵は、大きな堀に囲まれていて、陵はその中の小島のようになっていて、大きな森が小島に繁茂している。
 高級住宅地の一角にこんな風景が広がっていること自体が不思議なことであるが、逆の意味で言えば、高級住宅地はこの小島に阻まれて大きく広がることができないのである。
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 方違神社はこの時改修工事中で、ガイドもここではほとんど説明しなかった。
 この神社は崇神天皇の勅願によってできたとされ、この場所は河内・和泉・摂津の三国の境にある方位のない清地とされ、方災除けの神社として遠方への旅の災難除けや新築・転居等の厄除け祈願で、各地から多くの人々が参詣に来ている。
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ガイドの案内時間は1時間ということだったが、もう1時間半ほどになっていたので、方違神社の正面鳥居前でガイドと別れが、 ガイドの話の中身と自分の興味が一致してたいへん濃密な時間を過ごせた。
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昼食は方違神社の正面鳥居の隣にある、この門前そばである。
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この1250円の天ざるだが、午前中の大いなる達成感が食事中もずっと持続していたので、普段の2倍くらい美味しく味わうことができた。

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