阿武隈川(2007年)とおくのほそ道の旅 その22 後半の旅の最初の目的地白石で街歩き
緑線部分上の「芭蕉のおくのほそ道の旅」を辿る旅の最初の目的地は白石である。
今度は、緑線に沿っての旅となる。
宿は宮城県白石市西益岡町5-53にある黄矢印印のみどり旅館で、1泊2食付きで7000円で宿泊した。
旅館の近くには武家屋敷があり、旅館にたどり着くまでには堀の前の一方通行の狭い道を入っていかねばならず、旅館に到達するまでかなり苦労したことをいまだに覚えている。
このみどり旅館には午後3時頃到着した。
旅館の外観はほとんど普通の民家で、駐車スペースもせいぜい3台くらいしかない。
ここに車を停めて、これから白石の街歩きである。
これから、伊達藩の重臣として白石城の主となっていた片倉氏の家臣であった中級武士旧小関家の武家屋敷を訪ねる。
この辺りは後小路といい、右手の堀は三の丸外堀に当たる沢端川である。
旧小関家は後小路南側東端の屋敷で、1761年の白石城下絵図に「小関右衛門七」と書かれている。
赤枠で囲った屋敷が旧小関家である。
旧小関家は鬱蒼たる庭樹でおおわれ、前面と側面を清冽な沢端川が巡っている。
ここが旧小関家の入口で「美味し国、伊達な旅」の幟旗が3本立っているが、土橋を渡り幟旗の立っている簡素な切妻造の棟門をくぐって、屋敷の中に入った。
主屋は北面して建ち、土台のない石場建で屋根は寄棟造、茅葺で裏手に櫛形の煙出し破風を付けている。
復元された主屋は、上手の前面に「なかま」と呼ぶ正座敷、その裏側に「なんど」をとり、これら二室の下手に広い一室構成の「ちゃのま」を配した「広間型三間取(さんまどり)」の極めて簡素なものである。
座敷廻りは真壁造、台所廻りは大壁造で、間取りは上図のとおりとなる。
△印の場所から入ったが」、最初が「だいどころ」となる。
ここが「ちゃのま」で、囲炉裏が掘ってありその上に鉄びんを吊るした自在鉤が天井から下がっている。
「ちゃのま」から「なかま」を覗くと、灯りの右側には奥には「床の間」が見えた。
一通り旧小関家を見てから白石に来た証拠として、門の前の木橋の上で伊達なポーズをとって、記念の写真を通りすがりの名も知らぬ方から撮ってもらった。
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