奈良大和路散歩(2016年の旅) その11 崇神王朝(三輪王朝)の地を歩く

 この日はこの旅の最も大きな楽しみの一つである、邪馬台国」を歩く旅の日である。


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 今日の日程であるが、午前中は昨日歩き終わった地点から歩き出し「山の辺の道」を完歩し、午後から「邪馬台国」を歩く旅となる。

 日程と若干異なり、午前8時30分ころ天理駅から電車に乗り、午前8時40分頃に小さな無人駅「纏向駅」に降車した。

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 「纏向駅」にはこんな看板が建っている。

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 この駅を含んでこの辺り一帯が「纏向遺跡」の範囲となっていて、午後から再びこの駅に戻ってくることになる。

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 駅前に「山の辺の道」の案内図があったのでこれを利用して説明するが、僕はこれから黄矢印のように道を辿って歩いていく。

 歩き始めて20分ほどで、「景行天皇陵」が真横(左方向)に見える地点まで進んだ。

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 「景行天皇陵」を眺めているうちに、王朝交替説(日本の古墳時代に皇統の断続があり、複数の王朝の交替があったとする学説)を思い出した。

 王朝交替説を簡略に説明すると、日本の古墳時代に皇統の断続があり、複数の王朝の交替があったとする学説のことである。

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 引き続き歴史街道を歩いていく。

 詳しくは知らないが、邪馬台国論争では九州説を主張した早稲田大学名誉教授の水野祐(1918〜2000)が言いだしっぺで、その王朝は、1崇神王朝(三輪王朝)(イリ王朝)、2応神王朝(河内王朝)(ワケ王朝)、3継体王朝(近江王朝)の3分類となる。

 この1崇神王朝は大和の三輪地方(三輪山麓)に本拠をおいたと推測され、三輪王朝ともよばれている。

 崇神王朝は第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇、第13代成務天皇と続き、第14代仲哀天皇で終わる。

 この王朝に属する天皇や皇族のおくり名に「イリヒコ」「イリヒメ」など「イリ」のつく名称をもつ者が多いことから「イリ王朝」とよばれることもある。

 ちなみに崇神天皇のおくり名はミマキイリヒコイニエ、垂仁天皇の名はイクメイリヒコイサチ、景行天皇はオオタラシヒコオシロワケである。

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 ここは第11代垂仁天皇の宮があったと伝えられている「纏向珠城宮伝承地」である。

 日本書紀によると、垂仁天皇の時、野見宿禰と大麻蹴早が天皇の前で初めて相撲をとったとされている。

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 ここは第12代景行天皇の宮があったと伝えられている「纏向日代宮跡」である。

 景行天皇は纏向日代宮を都とし、10人あまりの妃との間に80人以上子をもうけたという。(古代史の英雄「倭健命(ヤマトタケルノミコト)」は彼の息子である。)

 「纏向日代宮跡」にはみかん畑が点在し、桜の花は終わったのだがウグイスの声などが途切れなく聞こえ、「青垣の大和」の地のどうらや今が一番いい頃のようで、伝承地の休憩所で日本の太古からの風景を堪能した。

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 この場所にはちょうどこの二人の老人が休んでいて、「休んでいかないか」と声をかけられた。

 少しここで休んで、二人の老人の向こうに見える「景行天皇陵」を見ながら、在りし日の崇神王朝のことを思った。

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