松前街道をゆく(2014年の旅) その54 かもめ島を散策する

かもめ島歩きマップに沿って、島内を歩いて行く。

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まず、④のテカエシ台場跡である。

江戸時代の後期諸外国の船が日本近海に現れ始め、幕府や諸藩は海岸線に台場(大砲を備える場所)を設けた。

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鴎島には、北にこのテカエシ台場が、南にキネツカ台場が設けられた。

鴎島の北側は風や波により岩盤が削られて平らになったが、もっとも広く平になった⑤の場所を千畳敷と呼んでいる。

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江戸時代中期に描かれた江差屏風には、この千畳敷に桜を運んで宴を催している様が描かれている。

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そして⑧の鴎島灯台、灯台の前には白字で「夕日の展望灯台」と書かれている。

かもめ島は日本夕陽百選にも選定されていて、標高25m程度の高台の上から美しい夕陽を見る事ができ、中でもこの灯台は階段で途中までなら登る事ができ、夕陽の時間帯は絶景写真が撮れるという。

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これは⑨の江差追分節記念碑で、江差追分が全国的に知られるようになったのを記念して1932年に建設、石碑裏面には「松前江差の鴎の島は地から生えたか浮島か」と刻まれている。

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島の中央まで歩いて来たので、これから島の南端に向かって歩いて行く。

ここは⑩の弁慶の足跡である。

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ここは⑩の弁慶の足跡で、崖下の平らな岩盤に足跡のような二つの大きな穴が開いていて、義経に伴って江差へやってきた弁慶の足跡だと伝えられている。

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ここが⑪のキネツカ台場跡で、北側のテカエシ台場とともに設けられた。

1969年4月、江差を選挙していた旧幕府軍は攻めてきた新政府軍の軍艦に対して、このキネツカ台場から砲撃した。

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キネツカ台場から海を臨んだが、海は当時のことなどあとかたもなく消し去っていて、あくまでも穏やかで、どこまでも青く広がっていた。

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