松前街道をゆく(2014年の旅) その56 「旧中村家住宅」を見学
横山家と並び江差の代表的な建物で国の重文となっている「旧中村家住宅」をこれから見学する。
中歌町に残されている旧中村家住宅は、江戸時代から日本海沿岸の漁家を相手に海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋宇兵衛が建てたもの。
大正初期に大橋家から中村米吉が譲り受け、昭和46年に重要文化財となり、昭和49年に中村家より町に寄贈、昭和57年に修復が完成し一般公開された。
江差と北陸を往復していた北前船で運んできた笏谷石(しゃくだにいし)を積み上げた土台の上に、総ヒノキアスナロ切妻造りの大きな二階建ての母屋が建ち、母屋に続いて文庫倉、下の倉などが浜側まで並ぶ、当時の問屋建築の代表的な造りとなっている。
通りに面している入口から入ったところは帳場で、3人の手代が座れる珍しい形になっている。
帳場から奥へ、茶の間、仏間そして倉と続いている。
仏間から茶の間、帳場を見るとこんな風景となる。
倉は当時の貴重品が保管されていた場所である。
今は資料展示庫なっていて、当時使われていた食器や茶器類が並んでいる。
写真には写っていないが、ここの上窓には日本製のガラスが使用されていてゆがみがあるのが特徴となっている。
帳場の手代の席の後ろに襖があり、その裏が隠し階段となっていて二階へと続いている。
この二階は日本三大銘木にもなっている紫檀や黒檀がたくさん組み込まれた床の間となっている。
通常の商いは一階の帳場で行われていたが、重要な商談などは二階の床の間で行われていたという。
壁には砂鉄やアワビの貝殻がまぶしてあり、きらびやかで贅沢な書院造りとなっている。
さらに二階には、函館の旧相馬邸内に展示されている「江差屏風」の複製屏風が置かれている。
1750年頃の2万人もの人口があったと言われている繁栄華やかしき頃の江差を描写した唯一の貴重な資料である。
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