天竜川の旅その30 ヒョー越峠で国盗りの世界にタイムスリップ
今回の天竜川の旅の中で、最も期待し大きな楽しみとしていた遠山郷下栗の里はしっかり心に残した。
たぶんこの里のことは僕の生涯の記憶の中に長くとどまることだろう。
次の目的地は静岡県の秋葉神社である。
正式な名前は、秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)であり、静岡県浜松市天竜区春野町領家という場所にある。
この神社は赤石山脈の南端の標高866mの秋葉山の山頂付近にあり、日本全国に存在する秋葉神社(神社本庁傘下だけで約800社)の総元締であり、発祥の起源となった神社でもある。
ここへ行く方法は、二通りある。
一つ目は、遠山川沿いに走り天竜川出会いまで行き、そこから天竜川沿いを降る418号線コース。
二つ目は、152号線が青崩峠で不通となるので、その迂回路のヒョー越峠を通り、草木トンネルを抜け、水窪川沿いを降るコース。
和田宿に立ち寄って、このあたりの地図をもらった遠山郷観光協会の方に、どちらがいいか聞いたら、ここらへんの人たちは二つ目のヒョー越峠越えコースをほとんど利用していると教えてくれた。
天竜川沿いのコースは道が曲がりくねっていて、かなり難儀なコースなのだという。
迷わず、ヒョー越峠越えコースを選んだ。
和田宿を抜け、ヒョー越峠へ向かって走って行く途中、こんな看板を見た。
まぎれもなく、国道152号線(秋葉街道)を走っているのである。
9月21日(月)のことなので、山間地の田んぼはどこも黄金色の稲で出迎えてくれた。
ヒョー越峠は静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1,165mの峠で、名前の由来は武田信玄が西上作戦の折りにこの峠を越えたからといわれている。
西上作戦とは、元亀3年(1572年)9月から元亀4年(1573年)4月にかけて行なわれた、甲斐武田氏による徳川家康の所領・遠江への侵攻のこと。
西上作戦により、遠江の大半が武田領となり、また遠江の国人・地侍の多くも武田軍の味方となった。
ヒョー越峠付近の景観だが、僕も戦国時代に紛れ込み、武田信玄のような気持ちでいることに気がついて、なおのこと心が弾んだ。
ヒョー越峠に着くまでの僕の車の走りは、破竹の勢いで進軍していった風林火山の軍団の軍馬のようなもの、それ程快調な走りだった。
やはり峠付近の写真だが、国盗り公園という看板が立ててあった。
峠の国盗り綱引き合戦という行事が、1987年(昭和62年)より毎年10月の第4日曜日に静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の境であるこの場所で行われている。
国境の領土を賭けた綱引きイベントで、「遠州軍」(浜松市天竜区(旧磐田郡水窪町))と「信州軍」(飯田市(旧下伊那郡南信濃村))の代表チームが綱引きを行い、勝ったチームが「国境」を1メートル相手側の領土に動かすことができるという。
会場の峠にはこの時に決められた「国境」と標示された札が常時設置されているが、実際に綱引きの結果で行政上の県境が変わることは無いという。
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