砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その1 米子まで、そして米子から

旅の1日目は、ほとんど電車の中である。


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7月29()の早朝719分発の電車に乗り、1721分に米子に到着するまで、待ち時間の1時間ほどを除けば、9時間は電車の中で過ごすのである。

東京までは我慢できたが、東京から岡山までが長くて、1時間に1回は電車と電車の間のデッキに立ち、身体を動かしたりしながら退屈な時間を過ごした。


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岡山からはこの出雲市行きの特急やくもに乗り込み、今日の最終ゴール地である米子市を目指して3時間の旅となった。

この伯備線は、ほとんどの路線が中国山地の中となるので、特急とは名ばかりの鈍行で行くような、のんびりした旅となった。

しかし、2017724日現在、日本近海には4つの台風が出現していて、既に九州北部では甚大な被害が発生していて、この日も秋田や岩手や僕の住んでいる新潟などで、かなりの被害が出ていた。

今のところ山陰方面は大雨の心配はなさそうで、退屈ながらのんびりした気持ちのまま米子駅に着いた。


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駅から出ると右手方向に、派手な看板を屋上に配置した今夜の宿であるスーパーホテル米子駅前が見えたので、迷わず一直線にホテルに向かった。

今日7月29()の食事だが、朝食は駅弁(おにぎり弁当とお茶)、昼食も駅弁(日本の味博覧弁当とお茶)、夕食はホテルの近くの食堂で、800円の野菜炒め定食で済ませた。


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翌日の朝食は、スーパーホテル米子駅前の食堂でバイキング方式の簡易な朝食を食べた。


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昨夜は夢見が悪く、寝不足になってしまって、食欲もさっぱり湧かず、朝食後は朝寝までしてベッドで過ごした。




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今日は午前9時を過ぎてからホテルを出て米子駅に向かったが、だんだん広場にあるこの銀河鉄道のようなモニュメントにびっくりした。

米子は山陰で始めて列車が通った街で、このモニュメントは山陰鉄道発祥の地の交通拠点としてのイメージと、21世紀の国際都市を目指した町づくりの姿を蒸気機関車の姿に重ね合わせて造形化し、1995年に建立されたということである。



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山陰で始めて列車が通った街である米子駅には、米子東高書道部の手による豪華列車「瑞風」賛歌の美しい作品が掲げられていた。




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僕も「瑞風」の旅には遠く及ばないが、米子駅発944分発の鬼太郎列車に乗って、水木しげるロードのある境港駅まで、片道運賃320円、所要時間約45分の旅に出発した。

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