台湾紀行その6 元中華民国(台湾)総統李登輝のこと
司馬遼太郎の台湾紀行には印象に残る傑物が大勢登場し、台湾紀行の格式をグレードアップさせる役割を演じているが、僕が台湾紀行の中で特に惹かれたのが元中華民国(台湾)総統の李登輝、そしてもう一人は日本の水利技術者で日本統治時代の台湾で、農業水利事業に大きな貢献をした八田與一である。
僕の台湾紀行の旅を始めるにあたって願ったことがある。
それは、司馬遼太郎の文庫本「台湾紀行」の中で紹介された、「日本国民時代に日本人として育った台湾人が、日本人よりも日本人的であるというシーンに、1回でも2回でも遭遇したい、そういう機会を持ちたい」ということだった。
元中華民国(台湾)総統李登輝はそういう旧日本人の一人である。
僕の台湾紀行の旅を始めるにあたって願ったことがある。
それは、司馬遼太郎の文庫本「台湾紀行」の中で紹介された、「日本国民時代に日本人として育った台湾人が、日本人よりも日本人的であるというシーンに、1回でも2回でも遭遇したい、そういう機会を持ちたい」ということだった。
元中華民国(台湾)総統李登輝はそういう旧日本人の一人である。
ここで元中華民国(台湾)総統李登輝を簡単に紹介する。
李登輝(り とうき、リー・テンフェ、1923年(大正12年)1月15日 - )は、中華民国の政治家・農業経済学者。元・中華民国総統(1988年 - 2000年)。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。信仰する宗教はプロテスタント・長老派。
日本統治時代に岩里政男(いわさとまさお)と名乗っていた。
蒋介石の息子の蒋経国の死後、その後継者として中華民国の歴史上初めて直接選挙を経て総統となった。
彼は日本統治時代の台湾に生まれ、日本の教育を受け、日本人として育った台湾人で、終戦の1945年までは内実ともに日本人だった。
中学・高校時代に鈴木大拙・阿部次郎・倉田百三・夏目漱石らの日本の思想家や文学者の本に触れ、日本の思想から影響を受ける。
また、日本の古典にも通じており、『古事記』・『源氏物語』・『枕草子』・『平家物語』などを読む。
日常的に日本文学を多く読み、岩波文庫の蔵書数を誇ったり、日本のオピニオン雑誌『中央公論』『文藝春秋』を愛読するなど、日本語が一番得意。
それについで台湾語、英語となり、一番苦手なのは北京語で、非常に台湾訛りが強い。司馬遼太郎や小林よしのりとの対談も有名で、話し出すと時間を忘れるほど熱心に語る雄弁家でもある。
自らを「半日本人」と称する程の親日家で、2009年12月18日に、台北市内で、訪台中の日本の高校生約100人を相手に『日本と台湾の歴史と今後の関係』をテーマに講演した内容は、彼の本質そのままのものである。
李は講演で「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた『日本精神』を学び、あなたたちも大切にしてほしい」と述べた。
誰を念頭に置いているか知らないが、彼は台湾総督府民政長官を務めた後藤新平を「台湾発展の立役者」として高く評価しているという。その元中華民国(台湾)総統李登輝が「霊安故郷」という名を考えた慰霊碑の由来の紹介をする。
台中寶覚寺霊安故郷慰霊碑護持会の説明をそのまま転載する。
日本の皆様、
ようこそ台湾へ御旅行に来られましてほんとうに御苦労様でございます。
そして台中寶覚寺へお立ち寄り下さいまして誠にありがとうございました。
今、皆々様の前に聳え立っている記念碑があります。この記念碑は「霊安故郷」慰霊碑と申しまして、先任の台湾総統「李登輝先生」が御題名下さいました記念碑でございます。
此処に、私は日本の皆々様に対し、この「霊安故郷」慰霊碑建設のあらすじとその意義を説明させていただきます。
昔、台湾は日本の一部である事跡と歴史は皆さん御存知と思います。
先の戦争に於いて日本教育を受けた愛国熱血あふれる台湾青年は、われが先にと日本軍人、軍属に志願し、南洋各地の戦場に駆けつけたのであります。その員数は20数万に昇っているとの事です。
これら熱血溢れる台湾青年は忠勇無双の日本兵と生死を共に南洋各地の戦場で奮戦し国のため華々しく散華なされました元日本軍人、軍属の台湾兵士は3万3千余柱に昇っています。
その中2万7千余柱の英霊は有り難きも、靖国神社に奉祀なされましたが、終戦前戦死なされました6千余柱の英霊は靖国神社に奉祀する事、間に合わず、南洋各地の空に無宿の野鬼となり、漂っている哀れな有様でございます。
太平洋戦争は日本の戦場拡大に因み、兵員不足と軍用物資の輸送困難とアメリカの広島と長崎に投下した原子爆弾により、日本は太平洋戦争に負けました。時は昭和20年8月15日です。
戦後台湾は日本から手離され、台湾は台湾として中国国民党政府の管轄を厭けながら50数年の長い時間を受けて来ました。
戦後我ら元日本軍人、軍属の陸海軍生還者は台湾同胞の戦争で散華なされた英霊の奉祀問題に鑑み、有志一同の資金募集と日本陸軍南星会の御協賛と資金の支援、最後に台中市寶覚寺の許可を得て此処境内に於いて慰霊碑を建造したのであります。
1985年に施工はじめ1988年11月25日に完成、同日盛大なる落成式典を厳かに挙行いたしました。
そして戦没者の遺族並び戦争生還者の英霊に対する遺徳顕彰、英霊鎮魂の祈願に鑑み靖国神社の許可を得て2万7千余柱の英霊を台湾へ招聘と同時に南洋各地に漂っている哀れな野鬼の英霊6千余柱をも招魂いたし、そして先任台湾総統 李登輝先生の御題名である「霊安故郷」(英霊よ、安らかに故郷へ)の慰霊碑に奉祀いたしたのであります。
爾来間断なく年に春、秋2度、盛大且つ厳かに諸英霊の遺徳顕彰、英霊鎮魂の慰霊祭を挙行いたしております。
とくに毎年の11月25日の秋の慰霊祭に於いては日本各海交会並びに諸団体から多数のお方様が台湾へおいで下され、慰霊祭に御参列なされ諸英霊をお慰めしているのでございます。
以上が「霊安故郷」慰霊碑建造とその意義のあらすじでございます。
日本の皆々様よ、台湾への御観光の際は是非とも台中寶覚寺へ御立寄り下され、慰霊碑をご参拝して下さい。諸英霊はきっと皆々様のご健康をお守り下さると思います。
皆様御元気で。
2003年吉日
寶覚寺霊安故郷慰霊碑護持会
台 湾 台 日 海 交 会
名誉会長 張 徳 水
会 長 林 徳 華同敬具
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