石狩川への旅 その21 旭川(小説氷点の地)を去る日・・

 午後からは、美瑛川忠別川牛朱別川が本流石狩川に流れ込む美しい自然に恵まれた街「旭川」の断片を訪ねて回った。

 旭川は屯田兵が切り開いた軍事と開拓の拠点都市として生まれ発展してきた街である。

 
 ここには陸軍第7師団が置かれ、北方ロシアへのにらみを利かせていた。

 
 昨日の午後訪ねた記念館の主人公である小説家「井上靖」は、第7師団の軍医である父が旭川に赴任中の1907年に、官舎で生まれた。旭川は井上靖出生の街でもある。


 旭川兵村記念館北鎮記念館など屯田兵・第7師団関係の資料館を見た後、旭川市博物館川村カ子トアイヌ記念館でアイヌ関連の資料を中心に見て回った。


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              旭川兵村記念館(当時の開拓村の人々) ↑



 この日の午後はこれで終わった。

 旭川を去る日の宿は旭川近郊の当麻町のギャラリーペンション当麻に予約を入れていた。


 北海道の秋は早く、宿まで辿り付けないで当麻駅前でじっと迎えの車を待っている薄着の身にはかなりこたえた。


 20分近く待っていると、御年80歳位?の体格の良いお爺さんが現れた。その方がギャラリーペンション当麻のオーナーである大原幸二さんだった。

 
 大原さんの案内で、僕は無事旭川を去る日の宿に辿り着いた。

 
 その宿は小奇麗で清潔で、細部に渡って手入れがゆきとどいていて、これまで泊まってきた北海道の宿の中では最高ランク(1泊2食6,500円)で、和室の部屋もトイレも風呂も夕食も美味しく、もっといい事には今夜の客は僕1人とのことで、サービスは至れり尽くせりだった。


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 ギャラリーペンションと銘打っているだけあって、窓からの風景が1枚の絵画作品を思わせる出来栄えで、美瑛や富良野のどこにでもある風景に酷似していた。

 旭川を去るにあたって、この地が生んだ高名な小説家とその代表作にふれておきたい。
 
 高名な小説家とは三浦綾子であり、代表作はもちろん小説「氷点」である。

 
 三浦綾子の小説と言っても、僕が知っているのは高校生の時に読んだ「塩狩峠」とテレビドラマ化された「氷点」くらいのもの。


 氷点はキリスト教で言う原罪を取り扱った小説で、実はテーマの重い小説である。


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              氷点の碑(三浦綾子文学記念館にて)↑


 ただ、朝日新聞の1000万円懸賞小説の応募作品ということで、ストーリー展開の面白さだけが眼につく小説として仕上がった。

 自分の娘ルリ子を殺した殺人者佐石の娘を赤ん坊の頃から育てていくという話で、舞台は美瑛川と忠別川に囲まれた外国樹種見本林の一角の辻口総合病院長の屋敷


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 美瑛川の堤防沿いの道(真っ直ぐで気持ちが引き締まる。陽子のような道だと思った。) ↑
 
 僕の氷点体験は、石原さとみ殺人犯人の娘である陽子を熱演していたテレビドラマをレンタルビデオで見たもの。

 
 殺人犯人の娘をわが子として育てていくが、その事実を知っている者と知らない者が家族として生活している訳だから、残酷ショーのようなもの。

 
 主人公の陽子は恋人北原から求婚された元日の朝食の席で、母親である夏枝から「あなたは娘を殺した人殺しの佐石の娘なのよ」と告げられる。


 ショックのあまり、陽子はルリ子が殺された河原で自殺を図るが、一命を取りとめる。

 
 その後陽子は、人殺しの佐石の娘ではなく、三井恵子という女性が夫の出征中に不倫して出来た子ということが判明し、陽子は生きる力を少しずつ取り戻し、2年ほどのブランクの後に北海道大学文学部に入る。


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                      北大校内 ↑

 ここ北大でも、実際の佐石の娘と友人になったり、同学年となった三井恵子の子ども(陽子にとっては弟)に友人になってくれと声をかけられたり、興味尽きない展開で小説は進んでいく。
 
 この氷点一作で、北海道の旭川を感じることが充分出来、小樽のラブレターにも似た街歩きの参考書として推薦できる。

 
 まるで韓ドラの冬のソナタや美しい日々を見ているようで(韓ドラが氷点を真似たのだろう)、韓ドラファンの僕としては同じようなもんだと感心しながら、興味深深でテレビに見入っていた。

 
 三浦綾子文学記念館は、外国樹種見本林の一角にあった。


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   この地が生んだ高名な小説家の代表作「氷点」の舞台に立てられており、旭川の観光名所として、旭山動物園と同等程度の重要度で存在していた。

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