砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その34 金屋子神社散策
「奥出雲たたらと刀剣館」を出て、安来市の金屋子神社に向かった。

その途中の景色のよい場所で「道の駅 おろちの里」で買った山菜ご飯とパンとトマトでアウトドアランチを楽しんだ。
もう少し楽な道があったはずだが、この道は山の奥へ向かう道で、15kmほどの峠越えの山道であった。

進むにつれて道がどんどん狭くなり不安が生じたが引き返す気までは無く、そのまま突き進んで30分以上も走って金屋子神社に着いた。

右の方へ行けば金屋子神社民俗館、左の道を行けば金屋子神社である。
まず、金屋子神社へ向かった。

蝉しぐれの参道を、今日のここまでのことを思い出しながら、司馬さんの「街道をゆく 砂鉄のみち」の核心部分をしっかり歩いていく。
安来の金屋子神社は全国1200社を数える金屋子神社の総本山である。

「この神社は金屋子信仰の中核として、古くから全国の鉱山師や鉄工業者等の信仰を集めた神社で、社殿は火災で焼けたあと1864年に造営されたもので、珍しい総ケヤキ造りで、装飾や技術に優れ、近世後期の大工技術を知るうえで貴重」というようなことが書かれていた。

社殿の説明看板の反対側に、近くの遺跡等から発掘された鉧(けら)が奉納され並んで陳列されていた。
その鉧の説明の石碑の一つには、全鉄分が44%で作成年代は400年から500年前のものと書かれていた。
鉧から鉄製品が造られ我々の文明が格段に進化したので、見た目の悪い鉧ではあるが実は文明の母と呼んでいいものなのである。

急な上り階段を上がりきると、目の前にりっぱな社殿が見えてきた。
古くから全国の鉱山師や鉄工業者等の信仰を集めた金屋子神社の社殿である。

近くに寄ってみると、なるほど、説明に書かれたとおりの、総ケヤキ造りの装飾や技術に優れた美しい社殿だった。
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