秋田県散歩(2015年の旅) その51 横手市増田の「佐藤養助漆蔵資料館」を見学
秋田県散歩(2015年の旅)のブログ上の旅は、5月18日(月)で最後となる。
実際は僕の居所である新潟市へ帰るまで旅は続き、山形県で寄り道もしたのだが、それはブログには記載されないことである。
今日一日の計画だが、実はヤマメ釣り師の憧れの聖地でもあり、釣りキチ三平の釣り舞台ともなった、成瀬川や役内川での渓流釣りを楽しむ予定で、宿も役内川の釣り場でもある秋ノ宮温泉を予約していた。
しかし、旅の2日目に月光川での毛虫の被害による赤疹が未だに完治してなくて、釣りをする気分になれず、宿はそのままで、急きょこの日の日程を変更した。
今日の出発点である黄星印の横手市は既に秋田県の南端部である。
ここから赤字1の横手市増田にある伝統的建造物群保存地区を最初に訪ね、次に赤字2の秋田県最南端の市である「湯沢市」に行き、ここでの菅江真澄の足跡を訪ねる。
それから役内川を遡り、旅の最後の地であり今夜の宿でもある赤字3の「秋の宮温泉 新五郎湯」に向かう。
それでは、まず赤字1の増田にある伝統的建造物群保存地区に向けて出発する。
同地区の起源は、貞治年間に小笠原氏が現在の横手市立増田小学校付近に増田城を築いたことに始まると伝わるが、城は元和年間に破却された。
増田は羽州街道からは外れるものの、手倉街道と小安街道が交わる交通の要衝であり、1643年には現在まで伝わる増田の朝市が始まるなど、秋田藩南部の流通の拠点として栄えることとなった。
30分程走って、伝統的建造物群保存地区にある代表的な建物である「佐藤養助漆蔵資料館」の前に到着した。
ここは漆蔵資料館は従で、食事処(稲庭うどん店)や土産処が主な生業の場所である。
その資料館を覗いてみた。
この外観が金庫室のような中に座敷があり、そこが漆蔵資料館となっている。
この座敷蔵の建築年代は大正10年で、旧米蔵は大正後期の建築であった。
佐藤養助漆蔵資料館は増田の大地主であった小泉五兵衛の旧宅で、小泉家は材木や味噌・醤油を商っていた。
江戸時代より8代続いた家で、戊辰戦争においては350両という増田一の御用金を納めていた。
ふすまの奥にも畳敷きの部屋があり、ここには陶磁器などが展示されていた。
小泉家当主は俳句にも興味があったと見え、河東碧梧桐や高浜虚子の書いた額なども展示されていた。
また部屋の中には、佐竹家九代目義和公直筆の書も展示してあった。
主屋の二階には小泉家の代々の方々の写真などが年代順に並べられて、展示されていた。
ところで、座敷蔵だが、基礎・土台には院内石を使用、煙返しは人研仕上げがなされ、土蔵の側廻りは白黒の漆喰塗りを施し、開口部を磨き漆喰で仕上げる贅を尽くした造りとなっている。
現在では入手不可能な良質な材料を惜しげもなく使用し、大工や左官工の技術の粋を結集させ造り上げられた究極の蔵と呼べる土蔵という。
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