長州路(2019年の旅) その2 長府に到着

朝食はホテルの2階にあるダイニング囃子(はやし)での食事となっている。





ここは朝食のおいしいホテルということで、愛情こもった家庭の朝食や老舗旅館のような朝食を思わせる朝食ということで楽しみにしていた。


通常のビジネスホテルの朝食はバイキング形式なので、個人個人ホテルが提供したおかず等を自分の好みで選んできて朝食とするのだが、このホテルは同じ食事が宿泊客に提供される。





間違いなく出された食事は愛情こもった家庭の朝食で、昨日の睡眠障害に近いような不快な気分がかなり解消され、元気すらでてきた。





 今日から二泊三日で萩までのレンタカーの旅が始まるのだが、今日は長府と壇之浦を一日かけて散策する予定である。





 ホテルから長府までの距離は15km、時間にして15分ほどである。


 トヨタレンタ新下関駅前店からトヨタビッツを借り、午前9時には長府に到着した。





 長府の地名は「長門国府」にちなむ。


 ここには長門国設置にともなって国府および国分寺が置かれた。


国府としての機能が低下するにともない、鳥居前町・宿場町として位置づけられ、奈良時代には鋳銭司が、鎌倉時代には長門探題が設置された。


室町時代には長門守護の厚東氏が、戦国時代には山口に拠点を置いた守護大名大内氏が、それぞれ長府の地で滅亡した。


江戸時代に入ってからは、長州藩の支藩・長府藩設置により長府毛利家が陣屋を構え、その周辺に武家屋敷が広がることになった。





幕末には、高杉晋作が長州藩内の佐幕打倒を図り、長府の功山寺で決起した。


その功山寺から、長府の物語を始めていく。

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