新神戸ものがたり その3 雄滝まで

 歌碑の道のマップがネットに出ているので、ここに掲載する。

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 雌滝への道の傍の藤原良清の歌碑「音にのみ聞きしはことの数ならて 名よりも高き布引の滝」は⑥の位置にある。

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 歌碑の道の中ほどの⑳の位置には紀貫之の歌碑がある。



  松の音琴に調ふる山風は 滝の糸をやすけて弾くらむ

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 歌碑の隣に歌の説明が書いてある。

 「松風が琴の音のようにひびいてくる、滝水の糸を張っての琴であろう」というような意味で、松籟と滝音とが調和している風情を思って詠んでいるのである。

 紀貫之は平安朝の歌人で、官吏としては木工権守が最後であったが、歌人としては最初の勅撰集、古今集撰進の第一人者であり、平安朝和歌の基礎を築くと共に、古今集序や土佐日記によって仮名文字の道を開いた。

 数多い屏風歌を詠んだのも特徴で、 この歌も屏風歌で、敦慶親王(宇多皇子)家の屏風の(松山 の)滝を画いた大和絵の画賛の歌である。

 ここから3分ほど歩くと雄滝が見えてくるが、橋のたもとに㉓番歌碑があった。

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  我世をは今日か明日かと待つ甲斐の 涙の滝といつれ高けむ


 在原行平の歌である。


 在原行平(弘仁九(818) ~ 寛平五(893))は平安朝の歌人で、父は阿保親王(平城皇子)で業平の兄である。

 因幡守や民部卿であったが須磨に隠棲の身となり、松風村雨との伝説は有名で、謡曲「松 風」などの題材となっている。

 この歌は新古今集にもあるが元は伊勢物語で、業平一行と布引見物に来た時の歌である。

 自分の失意を表した歌で「世にときめくのを今日明日と待つ甲斐もなく不幸なわが身こぼれ落ち るわが涙の滝とこの滝とどちらが高いか、私の涙の方が・・・」というような気持ちの歌である。

 歌碑から目を転じると、そこには豪快な雄滝がある。

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 雄滝は六甲山の上昇によってできた滝である。

 山はここから急に高くなっているが、それは滝の上流側の山が下流側に比べて大きく上昇したためで、生田川がその境目を流れ落ちてできたのがこの雄滝なのである。

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 雄滝の高さは43m、滝壺の面積は430m2で深さは6.6m、滝の横には5箇所の甌穴(最大のもので10畳大)があり、竜宮城に続いているという伝説がある。

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 雄滝は、滝上の山路から紅葉越しに見ても男前だった。

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