台湾紀行その25 台湾東海岸にて 王ガイドの話 その2
王ガイドの話は続く。
台湾は北が雨が多い地域、南が雨が少ない地域となる。
毎年7月から10月までは台湾は台風のシーズンとなり、台風は東部海岸の花蓮のあたりから上陸するので、花蓮はこのシーズンは大変である。(今は3月だからベストシーズン)
現代は仕事でも何でもパソコンの時代で、少し昔の話しになるが、台湾の一般人がコンピューターに関する知識がないため、その知識と技術のある人は優遇され、一般人の10倍以上の収入を得ていた。
実際の金額で表すと、一般労働者が30万〜50万元のところを300万〜500万元も稼いでいたという。
円と元のレートは1元≒3.3円程だから、台湾のコンピューター関係労働者は1000万〜1650万の稼ぎがあったという。
5〜6年位働くと3000万位の貯金が出来たというのだが、勤務時間が朝目が覚めたら会社へ行き、帰りは夜10時〜11時の猛烈勤務。
王ガイドははっきり言わなかったが、これでは身体も持たなかったのだろう。
台湾は昔は保険もなかったから、病気になれば死を待つだけだったと、暗示的に言っていたが。
王ガイドの話は続く。
台湾には昔からカナダ人、アメリカ人、イギリス人などの欧米人が、本業は医者、副業は宣教師という立場でやってきていた。
彼らは百数年前から台湾の東岸地方へ来ていて、都会ではなく、山の方へ住んで、そこに住む病気の原住民の治療をタダで行い、原住民の生活を助けてきた。
原住民はタダで治療を受けながら、彼ら外国人医師の宣教活動を自然に受け入れ、キリスト信仰の徒となった。
台湾の宗教風土だが、台湾人全般としてはお寺関係が多いという。
一方宣教師によって布教された教会関係は極端で、高学歴者はエソを信仰し、原住民関係はマリア信仰の徒となったという。
どういうことかわからなかったので、ネット検索すると、人には支配する側と支配される側があり、支配し搾取する立場の人はイエス信仰、支配され搾取される側はマリアを信仰するのだとか。
特に台湾の東側は原住民が多く住んでいたので、マリア信仰が普及したようだ。
王ガイドは知ってはいるのだろうが、そこまでは言わなかった。
話をし終えると、王ガイドは台湾の少年向けに作られた2時間程度の八田與一のビデオをバスのテレビで放映した。
バスの中でウトウトしながら見終えた頃に、台東の街に到着、楽しみな昼食タイムがやっと来た。
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