秋田県散歩(2015年の旅) その52 増田町を散策する
佐藤養助漆蔵資料館を出て、どこを歩いても絵になる増田の町を歩いてみた。
増田には1時間半くらいいたが、歩いた箇所全部を掲載せずに、美味しいところだけをピックアップして記すことにする。
まず赤字①の「朝市通り」である。
ここの市は1643年から360年以上も続くもので、毎月2、5、9のつく日に近郊の農家や商店などの出す店が、この通りに60店あまり出るという。
次が赤字②の「旬菜みそ茶屋くらを」、以前は勇駒酒造という酒屋を営んでいて、その名残りで勇駒という看板が店の正面に出ている。
この用水堀が町の中心部を東西に流れる赤字③の「下夕堰(下関)」で、流域住民の生活用排水や防火用水さらに農業用水として使われ、増田の人々に恵みを与えている。
その歴史は古く、戦国時代からここを流れていたと推測されている。
ここが赤字④の「日の丸醸造」である。
1689年に現在の山形県最上から来た沓沢甚兵衛が創業し、蔵名の「日の丸」は秋田藩主佐竹公の紋処が「五本骨の扇に日の丸」だったことに由来すると伝えられている。
明治・大正時代には数々の賞を獲得し東北地方屈指の酒造だったが、一度廃業し昭和23に300年の伝統を復活し今日に至っている。
最後となったが、ここが赤字⑤の「二本杉 増田城址」である。
二本杉の立つ場所は、増田城址の城柵の一部と考えられる土塁の上にある。
1363年に小笠原義冬が増田城築城の際に娘と牛を人柱としたので、慰霊のため塚を造り二本杉を植えたと伝えられている。
増田町は釣りキチ三平の作者である矢口高雄(本名 高橋高雄)の生まれ故郷の町である。
彼は町の中心部から20kmも離れた山村である秋田県雄勝郡西成瀬村(後の平鹿郡増田町、現・横手市増田町)に生まれた。
豊かな自然に囲まれて育った子ども時代の生活が、後に釣りキチ三平などの漫画を生み出す格好の材料となった。
本来ならば今日は釣りキチ三平の生まれ故郷である成瀬川や皆瀬川で、釣りキチ三平の名場面を思い出しながら竿を思いっきり振る予定だったので、せめて川だけでも眺めようということで、20分程成瀬川に沿って車を走らせた。
成瀬川の渓相はグッドで、きっと良いヤマメが釣れたのだがと思いを残し、再び今来た増田町の方向へ車を戻した。
その途中で、梨ノ木塚遺跡という立て看板が目に留まった。
ここは縄文時代前期初頭から晩期終末まで縄文人達の生活舞台で、看板後ろの竪穴式住居は資料をもとに地域の住民が協力して復元したものだそうだ。
また一つ、秋田の偉大な歴史に触れることができた。
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