津軽街道をゆく(2013年の旅) その59 弘前藩出入りの商家であった石場家を見学

天守閣を降り、北の郭を抜け、北門まで来た。



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この北門は、当初亀甲門といわれ弘前城の表門で、亀甲門が表門として使われたのは、参勤交代に鰺が沢街道が便利だったためといわれている。

南門である追手門が正門に変わるのは、4代藩主の信政の時代で、1665年に、羽州街道が整備され、参勤交代に鰺が沢街道が使われなくなっためである。

名前の由来は天の北方の守護神玄武(カメの甲に蛇が巻きついた形である)からで、亀は北を表わすシンボルなのである。また甲は兜の意味を表わしている。



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北門(亀甲門)を抜け、この亀甲橋を通り、これから僕は弘前藩出入りの商家であった石場家へ向かう。



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石場家は江戸時代、主に藁(わら)製品を取り扱っていたが、時代と共に扱う物も変遷し、今は酒と煙草の販売を行いながらも、連綿と家名を守り続けている。

石場家住宅は1973年2月23日に国の重要文化財に指定されたが、現在も住居として使われていて、内部を見学することが出来る。

この石場家には司馬遼太郎も「北のまほろば」の旅で、1984年1月に訪れている。

僕も見学させてもらった。



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家全体も、部屋の中の家具や調度類のすべても、骨董品といえるものばかりだった。

北のまほろばには、彫刻家石場清四郎氏の姉君であるこの家の家刀自(一家の主婦)がとても魅力的な方で、県立弘前女学校の頃に、まだ若かった石坂洋次郎氏に教わったエピソードなどが、面白く書かれていた。



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その魅力的な家刀自と司馬遼太郎が、板敷の端で話している写真が、北のまほろばというタイトル文字とともに、板壁の上に展示されていた。

司馬遼太郎は、魅力的な家刀自をこう書いている。



「家刀自は細面の美人で、板敷の端に端座された。茶目っぽい微笑が、油断ならなかった。・・・・・きれいな標準語ができる方なのに、あふれるような津軽弁で洋さん(石坂洋次郎)のことを話してくれ、まるで音楽を聴くようだった。・・・・・」



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骨董品のような家屋の中で、様々な種類の津軽銘酒などが販売されていたが、ここに陳列されている商品すらも国の重要文化財の一部のような気がしてきた。

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