秋田県散歩(2015年の旅) その53 秋の宮温泉で「秋田県散歩」を終える
秋田県散歩の旅も、いよいよ今日が最後のブログとなる。
梨ノ木塚遺跡を出発すると、秋田県最南端の市である湯沢市へ向かった。
湯沢市のJR湯沢駅の観光案内所で「湯沢市見どころMAP」と「湯沢まちなか歴史資源MAP」をもらったが、この資料はほとんど使わず、湯沢市では市役所近くにある菅江真澄の歌碑(すぐ近くに名所となっている力水がある。)と湯沢市柳田の八幡神社(菅江真澄は北の旅の初めての厳しい冬とその後の春を、柳田の草薙という老人のすすめでこの神社で過ごした。)の2ケ所を見学するに留めた。
まず、市役所近くの「日本名水百選力水」の石碑の近くにある「菅江真澄の歌碑」を見た。
1785年1月4日に、菅江真澄が詠んだ歌である。
「たのしさよ 千代もかはらずくみかわす 湯沢の里の春の盃」と刻まれている。
旅先で親切にされながら新年を迎え、名水の里で出来たおいしい酒を飲んでいる菅江真澄の素直な喜びが伝わってくる。
この歌碑の近くに、日本名水100選に選ばれている「力水」がある。
力水は、徳川幕府が一国一城制を敷き佐竹南家が現在の市役所のある場所に館を建てたときから、佐竹南家の御膳水として明治25年ごろまで使用された。
その後近所の人たちの飲用に使われ、だれということなくこの水を飲むと力が出るという評判になり、それから力水と名付けられた。
力水を飲んで力をもらって、その勢いで柳田橋を越えて八幡神社に向かった。
しかし目指す柳田の八幡神社は、実は柳田橋を渡る手前にあるのだということをその時は知らず、30分程迷って昼飯の方を先にした。
昼食はアウトドアで、柳田橋付近の黄星印あたりの空き地で、おにぎり弁当ととん汁とUCCコーヒーで済ませた。
昼食後現地に住んでいる方に聞いて、柳田の八幡神社が柳田橋の向こう側にあるということで、再度柳田橋を越えた。
そして目的の八幡神社に、午後2時5分到着である。
菅江真澄は1784年9月から1785年8月まで秋田県南部を旅していたが、この柳田の八幡神社で、雪で動けなくなった10月から翌年の春まで半年以上を過ごし、小野小町の誕生地といわれる今の湯沢市小野を訪ねたり、近くの院内銀山にも足を運んだ。
ここでのことは「秋田のかりね」という著作に書かれているが、菅江真澄が31歳から32歳の頃の話である。
この神社の境内を歩き本堂で参拝した後で、参考書の無明舎出版「菅江真澄と秋田」を手に携えて、この旅最後となる自身を入れての記念撮影をした。
柳田八幡神社の見学を終えると、湯沢市の中でも最南端にある今夜の宿である秋の宮温泉に向かった。
役内川は渓流釣りのメッカとして釣り人に広く知られていて、その上流部に位置する秋の宮温泉はその基地として、また絶好のヤマメ釣りの聖地として有名である。
本来ならば、この赤字ヤの付いた部分(釣り仲間が過去にヤマメを釣った好ポイント)を辿って思う存分釣り竿を振る予定だったのだが、こうなったからには致し方ない。
月光川で毛虫にさえ刺されなかったら、今日は大物ヤマメに出会えて最高の釣り日和で秋田県散歩を終えることが出来たはずだったのだが、まあ釣りはいつでもどこでも出来る。
今回の旅は、中身の濃い良い旅だったと考えている。
最後は新五郎湯の料理と温泉三昧で、「秋田県散歩」を締めることにした。
延命泉と銘打っているだけに、この新五郎湯に入ると身体の芯までポカポカになる。
ここには打たせ湯もあり、夕方と朝にゆっくりと湯に浸かった。
そして出された夕食がこの豪華さである。
様々な山菜を使っての料理も、魚や肉の料理も、どれ一つを取っても山の奥の温泉旅館の暖かいもてなしの心が出ていて、まことに十分満足できるものだった。
それでは、ここで秋田県散歩を終える。
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