砂鉄と銀と神話の道(2017年の旅) その38  青銅器埋納地に到着

荒神谷遺跡までの道を歩いていくと、目の前に2000年蓮が見えてきた。
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 この蓮は千葉県内の遺跡で2000年前の地層から出土した種から育て増やしたもので、約50アールの蓮池に5千株、5万本のハスが植えられている。
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花は7月中頃にピークを迎え下旬ごろまで楽しめるということだが、既に花の盛りの時期は過ぎていて、蓮の実が蓮畑の至るところで目立っていた。
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2000年蓮(古代蓮)と現代の蓮の違いだが、古代蓮は比較して背が低く、食べても美味しくないというボランティアガイドの原さんの説明だった。
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古代蓮を眺めながら、どうやら青銅器が埋納されていた場所に到着である。
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 埋納されていた場所は先の説明通り、谷のようになっているこの地形の左斜面である。
もともと青銅器は、ここに建っていた小屋で管理されていたようである。
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 しっかりと雨風をしのげる小屋に保管管理されていた青銅器は、古代出雲では比較的早期に埋納されたという。
 これから、原ガイドの先導で荒神谷遺跡の中に入っていく。
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 探検隊気分で遺跡の中に入り、今銅剣が埋められた場所に立っている。
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 この場所で、原ガイドはガイド用資料ファイルを取り出し、ここから見える神奈備山(仏経山)を指で指示した。
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その山は鉄塔の後ろに遠くかすんでいて、ビデオカメラを最望遠にしてやっと捉えることができるくらいだった。
原ガイドは、「古代出雲ではシャーマンの頭が島根県の集落の380人の長たちを呼んで、男性のシンボルの良く見える女性のシンボルを象徴するこの神庭西谷で、農耕祭祀を執り行ったのである。」と明快に説明した。
「なお神庭西谷だが、神庭は【かんば】と読み神事に関係のある地名であり、西谷も斎谷だったと考えられる。まさにここは、農耕祭祀を執り行うのにうってつけの場所だった。」と原ガイドは再度力説した。
まだまだ面白い話は続く。

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