長州路(2019年の旅) その15 「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」に到着

次の目的地は土井ヶ浜遺跡である。


遺跡は弥生時代前期から中期の墓地遺跡で、現在では遺跡のほぼ全域が「土井が浜弥生パーク」として整備され、「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」が造られている。





 ここまでは福徳稲荷神社から13km程度の距離であるが、ここの案内表示も道路脇にはっきりと無かったので、高台の老人ホーム松濤園まで行ってしまった。





 この時は結果オーライで、絶景で有名な角島と角島大橋を遠望することができた。


 ここは、午後から行く予定にしている場所である。


 ここで小休止して絶景を楽しんだのち、老人ホームの職員から土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの場所を聞いて、そこに向かって再びスタートした。





 結局福徳稲荷神社から40分もかかって、ようやく土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムに到着した。


土井ヶ浜遺跡は響灘の海岸から300メートルほど入ったところにある。


海岸沿いに砂丘に直交するようにもう一つの砂丘があるが、この砂丘を利用して造った東西約120メートル、南北約40メートルの広さの墓地が土井ヶ浜遺跡である。


 実は旅の前からこの土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムについては興味があり、動画を見たりして事前に下調べをしていた。


 そこで受付で説明ガイドをお願いしたところ、松下館長がちょうど時間が空いているということで、館長から直接ガイドをしてもらうことになった。





 館長と並んで話をして歩きながら、約80体の人骨が発掘時の姿で復元されているという「土井ヶ浜ドーム」に入った。


 実はこの松下館長の講演している動画で土井ヶ浜遺跡の概略を知ったので、動画でお目にかかった本人から話が聞けることは願っても無いことだった。





 土井ヶ浜ドームに入ると、さっそく松下館長の話が始まる。


 本題に入る前に、館長の略歴をここで簡単に紹介する。





本名は松下孝幸、長崎県出身で山口大学文理学部卒業後、長崎大学医学部解剖学助教授となり、1991年「南九州地域における古墳時代人骨の人類学的研究」で長崎大学医学博士となり、1993年に、土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアム館長となられた。


中国大陸から弥生人が多く渡来したという学説を形質面から証明するため、中国を中心とした海外に赴いて、人骨調査を行うなどの活動をしている。

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